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幕末・明治関係


  主な人物の年代比較

  土佐勤王党名簿

  県内史跡広域地図


坂本龍馬像(桂浜)

徳川幕府を倒し、新しい国として船出した日本。そのために働いた若者たちがたくさんいた。
その後、自由民権運動で活躍した人々もいた。
彼らの足跡をたどることができるたくさんの史跡や墓がある。
がんばれ、高知の若者たち!

史跡等

○佐賀の乱で敗走し土佐にも蜂起を誘いに来た江藤新平だが、甲浦で捕縛され佐賀に送還、死刑となる。

○太平洋の荒波に向かい室戸岬に立つ中岡慎太郎像

○坂本龍馬とともに国事に奔走し、ともに暗殺された中岡慎太郎の誕生地は北川村です。

○忠勇隊士、能勢達太郎生誕地碑は奈半利町の西入口に建てられています。

○投獄された勤王党員の助命を藩に嘆願した二十三士が処刑されました。

○二十三士の首領、副首領の清岡道之助旧邸は田野町に、清岡治之助邸跡は安田町に。

○中岡慎太郎が徒歩で通い学んだ田野学館跡は田野町の中芸高校に碑があります。

○海援隊の金庫番、のちに三菱商会を設立した安芸市の岩崎弥太郎の生家・銅像

○岩崎弥太郎も学んだ岡本寧甫の誕生地はお寺でした。

○海援隊士であり、龍馬亡き後一時お龍の世話もした芸西村の安岡金馬碑

○芸西村の美しい芸西村琴ヶ浜に立つ、龍馬の妻お龍、妹君枝の像

○安岡、千屋などの志士の展示のある芸西村文化資料館は芸西村役場の隣にあります。

○香南市の村田忠三郎も武市半平太とともに処刑されました。

○河田小龍、勝海舟に師事し、海援隊に参加した新宮馬之助は香南市野市町の生まれです。

○土佐勤王党員で中岡慎太郎・板垣退助らと倒幕運動をし戊辰の役にも従軍した森新太郎邸跡、墓

○堺事件の11烈士の一人、北代健助の邸跡は南国市十市の近くにあります。

○坂本太郎五郎に始まる龍馬の先祖の地は南国市北部の才谷(さいだに)です。

○土佐勤王党を結成した武市半平太像は須崎市の横波スカイラインに立っています。

○高知市東南部の吹井(ふけい)には半平太が生まれ育った旧宅と神社(資料j館)があります。

○そして高知市菜園場公園には半平太の開いていた道場跡碑があります。

○坂本龍馬が目を開く影響を与えた高知市種崎の中城家、川島家は高知市南部の種崎です。

○ジョン万次郎からアメリカの話を聞き取っていた河田小龍碑は、はりまや橋東方にあります。

西郷隆盛、木戸孝允が来高した開成館跡の記念碑。

○上士でありながら討幕運動に加わった佐々木高行の誕生地は高知市南部の横浜東町。

○高知市上町には坂本龍馬誕生地龍馬の生まれた町記念館があります。

○桂浜に立つ坂本龍馬像は太平洋戦争時にも金属供出されませんでした。

○「汗血千里の駒」を書き自由民権運動で活躍した坂崎柴瀾の生誕地は高知市廿代町です。

○中江兆民や武市半平太などが勉強した岡本寧甫塾舎跡は高知市桜井町にあります.。

○東洋のルソーといわれる思想家、中江兆民の誕生地は菜園場に近いはりまや町です。

○山内家の重臣なのに勤王党に協力的だった高知市大川筋の小南五郎右衛門の碑

○吉村虎太郎、中岡慎太郎らを教えた間崎滄浪哲馬の住居跡(塾跡は北本町の裏通り

○大政奉還の建白書を提出した山内容堂公誕生地は追手筋にあります。

○土佐勤王党が暗殺した公武合体論者の吉田東洋遭難地の碑は追手筋と帯屋町筋の間にあります。

○吉田東洋の首を斬りさらしに包み走った勤王党の那須信吾は梼原の人でした。

○勤王党首領の武市半平太が獄中で切腹は帯屋町筋の入り口、大橋通の裏通りに。

○戊辰の役や自由民権の板垣退助像(追手門内)や邸跡碑(桟橋)

○明治11年に東京で生まれ、高知で15年間育った物理学者、随筆家の寺田寅彦旧邸は小津町です。

○国会議員となり明治憲法草案を作るなどした植木枝盛旧邸(桜馬場)と生誕地碑(井口町)

○戊辰の役やイギリス留学を経験し民権活動に転じた片岡健吉は後に衆議院議長などになりました。

○勤王党員で海外留学の企てが発覚し自刃した饅頭屋近藤長次郎邸跡碑は上町2丁目南側です。

○自由民権運動の政論家であった馬場辰猪の誕生地は高知市升形です。

平井収二郎や妹かほの生誕地は北端町JR踏切の脇にあります。

○上士と下士の争いが井口町永福寺門前事件に発展、そして土佐勤王党の結成へ。

○坂本龍馬が江戸修行のために路銀を借りた円行寺奥の山中、柴巻の田中良助の旧家

○坂本龍馬が脱藩のとき拝んで行ったといわれる高知市神田の和霊神社

○京都池田屋事件で近藤勇に斬殺された北添佶磨の誕生地は日高村岩目地です。

○のちに初代衆議院議長となった勤王の志士中島信行の生誕地は土佐市中島です。

田中光顕らが脱藩集合の地碑は佐川町の峠道。

○幕末の高知城下のようすを記した日記のある土佐市宇佐の真覚寺

○黒船に備えて設置された須崎砲台跡は須崎湾の入口にあります。

○勤王党員の集会が行われた発生寺は須崎市の城山南側にあり、住職智隆も勤王党員でした。

○天誅組として大和に散った吉村虎太郎誕生地銅像は津野町東津野にあります。

○脱藩の道の宮野々番所跡、そして韮ヶ峠などは梼原町の旧街道です。

○吉村虎太郎、坂本龍馬など総勢8人が居並ぶ維新の門群像は梼原町の和田城跡にあります。

○宿毛安東家きっての槍の達人で文武両道に秀でた岩村英俊邸跡は宿毛小学校です。

○土佐清水の中浜万次郎はアメリカから帰国し、幕府直参にとりたてられ維新に貢献しました。


墓所

二十三士の墓田野町福田寺に並んであります。

○龍馬の姉が嫁いだ高松家の墓所は安田町にあります。

○菅野覚兵衛の出身、千屋家の墓所は芸西村にあります。

○安岡金馬の出身、安岡家の墓所も芸西村です。

○勤王の志士野老山五吉郎の大きい顕彰碑は芸西村の野老山墓所に、五吉郎の墓は高知市に。

○土佐藩内の思想に影響を与えた土佐南学を大成した谷秦山の墓所屋敷跡は土佐山田にあります。

○武市半平太と奥さんの並んだ高知市吹井の武市家墓所は旧邸の後に。

○武市半平太の妻富子の叔父、島村雅事の墓は五台山に。

○医師井上俊三は幕末の長崎で上野彦馬に写真術を学び開店しました。墓所は逢坂峠の東北の霊園です。

○武市を江戸に呼び、他藩の志士を紹介した大石圓(弥太郎)の墓所は香南市古川にあります。

○千葉重太郎に剣を習い、土佐勤王党に加盟、五十人組など活躍した村田忠三郎の墓所も古川。

○土佐勤王党の中心として活躍した島村衛吉の墓は高知龍馬空港近くの島村家の墓所にあります。

○高知に移った後の才谷屋の新墓地は小高坂山にあります。。

○坂本龍馬を育てた家族や先祖の坂本家墓所は高知市山手町の丹中山です。

○同じ丹中山の東側に平井収次郎墓があります。

○丹中山の南隣りの永福寺山には県東部の僧で学問を修め志士を育てた南月渓の墓があります。

○勤王の志士浪越千磯田岡正躳の墓が同じく永福寺山にあります。

○岩崎弥太郎の妻となった喜勢の家族が眠る高芝家墓所は高知市御畳瀬にあります。

○高知市福井町には坂本龍馬に小栗流剣術を教えた日根野弁治の墓があります。

○高知市福井町にある、門下生として武市半平太や吉村虎太郎が学んだ鹿持雅純の墓

○弘瀬健太らと共に切腹させられた間崎哲馬の墓は高知市東久万にあります。

○人切り以蔵と呼ばれ、陰の汚れ役を演じた岡田(宣振)以蔵の墓は薊野東町の山の中にあります。

○広瀬洞意=絵師金蔵=絵金=友竹斎夫婦の墓も以蔵と同じ山にあります。

○龍馬の剣道修行の案内などをした溝淵廣之丞の墓は高知市北部にあります。

○中岡慎太郎や大石圓などが学んだ竹村東野先生の墓も高知市北部にあります。

○五十人組に参加、忠勇隊に入り九門の変で戦闘中に銃撃を受けた柳井健次の墓は高知市北部。

小南五郎右衛門橋詰愛平五十嵐文吉田内衛吉土居佐之助などの墓が高知市北部にあります。

○明治の自由民権運動に力を尽くした板垣退助の墓所は高知インターの南側にあります。

○西南の役で熊本城を守りきった谷干城は高知市西久万の谷家の墓所で眠っている。

○勤王党員、戊辰戦争にも参加し会津若松で戦死した三原兎弥太墓は皿ヶ峰の南方に。

○山内家の立場を守り公武合体論を貫いた吉田東洋の眠る吉田家の墓所も筆山南東面にあります。

○筆山・皿ヶ嶺にはほかにも尾崎幸之進窪田真吉(真田四郎)の墓があります。

○明治維新のためや戊辰の役で殉死したものは高知市吸江の護国神社に祀られています。

○土佐市の中島信行、中島与一郎とともに細木元太郎も脱藩しようとしたが、途中で脚を痛め自刃しました。

○万次郎とともに鰹漁に出かけ遭難し、アメリカに行っていた筆之丞兄弟の墓所が土佐市宇佐にあります。

○四万十市江ノ村には間崎家の先祖の墓所があります。

○那須信吾の父、那須俊平の墓もある那須家の墓所は梼原町の旧街道脇にあります。

○坂本龍馬や中岡慎太郎などの墓があるのは京都霊山神社(番外編)。

○吉村虎太郎、那須信吾など津野町・梼原町の志士たちを祀る六志士の墓

○明治の思想家幸徳秋水は大逆事件の首謀者として処刑されたが、今ではその冤罪が晴れた。

○勤王に奔走したこともあるという、生徒に慕われる中学校の先生、木戸明の墓は中村の町中に。

○幡多勤王党の首領とされる剣、砲、槍の先生だった樋口真吉の墓は四万十市(中村)の土生山に。

○刀の研ぎ師だが勤王の志士に協力していた冨賀源之助の墓も土生山に。