土佐の歴史散歩四万十市>樋口真吉の墓

樋口真吉の墓


2013年1月30日(水)


市役所脇から羽生小路の突き当たりまで行き、左へ、左へと道を辿り、土生山の西側から登りました。


途中で横を見ると西方の市街が見えました。


坂道から平坦部に辿り着き、少し上の方に見つけました。


従四位樋口真吉の墓です。
明治三年(1870)六月十四日に56才で没。


父は郷士樋口信四郎です。


樋口真吉は剣、砲、槍術など武術の修行を積み、一方遠近鶴鳴に
ついて経史を学びました。さらに諸国を回り修行に励み、帰郷後は
藩校行余館で多くの子弟を育てました。
徒士格の役のかたわら土佐勤王党結成にあたっては子弟を入党させ、
西部勤王党の首領として知られていました。


墓石の周囲には碑文が刻まれていて戊辰の変で伏見の戦での
活躍などが見えます。


樋口真吉邸跡碑が為松公園東の登り口近くにありました。

樋口真吉の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

土佐の歴史散歩四万十市>樋口真吉の墓