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北添佶磨誕生地


2002年03月24日


日高村岩目地にある加茂郵便局の隣地に北添佶磨の顕彰碑があります。


勤王の志士として古い標柱がありますが、排気ガスで汚れているのか、あまり目立ちませんね。


裏面にはびっしりと彼の業績が彫られています。

 天保4年(1833)3月5日岩目地村庄屋北添与五郎の五男として生まれる。
 間崎滄浪の門に入って学んだが、勉学を重ねるうち勤王の志を抱くようになり吉村寅太郎らと交際。
 16歳で庄屋職をつぎ、19歳のとき高北九ヶ村の大庄屋となる。
 その後吉村寅太郎らとともに武市半平太の組織した土佐勤王党に加わった。
 ロシアが北方より侵攻のおそれがあるのを心配し、文久3年(1863)5月能勢達太郎、小松小太郎、安岡斧太郎等と敦賀港より函館に渡る。
 9月京都に帰り、雙樹院如雲を暗殺。班の帰国命令に叛き脱藩、本山七郎と変名。
 元治元年(1864)6月5日京都池田屋事件で近藤勇に斬殺された。(32才)

2005年06月04日


岡花の陸橋部を下におりて線路沿いに数百メートル西進するとここに来ます。


そこで右に曲がり、百メートルぐらい進むと田圃の上に石柱が見えます。


近づくと石垣の上にそれらしきものがあります。


正面に回ると石板に簡単な説明があり、その後ろに高い石柱が立っています。


「北添佶磨(きちま)」 橘正佶


「贈従四位北添佶磨先生誕生の地」と書かれた細長い石柱。
ずいぶんスマートな石碑だ。

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