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高知縣護國神社


2006年4月18日 昔、一度は行って石碑を見たことがあるものの、その全体像を知らなかった護国神社を訪れました。


 駐車場に車を置き、境内の入り口を見ると、大きい灯籠や鳥居が目を惹きます。


 また、それにも増して高く大きいのは海軍の塔です。


 境内に足を踏み入れると、昔、一度来たときの記憶とちがうなと思いました。
こんなにたくさんの石碑が並んでいただろうか?配置が変わったのかな?


 例えば、予科練の碑です。
 このように、戦没者をひっくるめてではなく、地域や組織ごとに石碑が建てられてきています。
 第二次世界大戦関係では次のようなものがありました。
 ・フィリピン方面戦没者戦友塔  ・双山会慰霊碑  ・硫黄島慰霊碑
・ニューギニア方面戦没者戦友塔  ・歩兵第236連隊(鯨部隊)戦没者慰霊碑
 ・歩兵62連隊第3大隊戦友の塔 ・海軍の塔 ・憲兵戦友の塔
   ・騎兵戦友の塔 ・歩兵第144連隊ビルマ方面戦友の塔 ・独立412大隊慰霊碑
   ・予科練之碑 ・シベリア満蒙方面抑留戦没者慰霊碑


 一番隅の方にある、米粒型の自然石の石碑が、この護国神社の始まりと関連する石碑です。
戊辰戦争並びにそれ以前からの明治維新に尽力した人達の名前が裏側一面に彫られていました。
 表側はコケや風化により大変読みづらいのですが、裏側は何度か拓本をとられたようで、
きれいに掃除されていました。でも、砂岩でできているとのことで風化により剥がれた箇所があり、
拾い集めて宮司さんが貼り付けてあるものの、修復できないまでに細かく砕けた部分もあり、
一部は欠損したままになっています。


 裏側のようすです。
 右上から武市半平太小楯、坂本龍馬直柔、中岡慎太郎(以下欠損)
 上に戻って弘瀬健太年定、吉村虎太郎重郷、那須信吾重(以下欠損)
等々の名が続きます。


 新しい石碑の間にあってわかりにくいですが、「烈士殉難碑」は明治元年に鳥羽伏見の戦いのあと、
土佐藩が堺を警護していたときに、上陸してきたフランス兵のいたずらが原因で衝突が起き
フランス兵11名を射殺してしまった堺事件で、責任をとらされ処刑された11名の人達の碑です。

    

     
鳥居の手前には狛犬さんが参拝者を見守っています。
この立派な狛犬と鳥居はどういう関係か分かりませんが土佐山田町新改の人が寄進しています。
 


手水鉢には戊辰戦争における土佐藩部隊である迅衝隊十三番の文字がありました。


緩やかな階段を上っていくと途中に手水舎があり、手と口を清めます。


さらに階段を上がると満蒙開拓における厳しい生活の中での殉難者を祀る「開拓神社」がありました。


階段脇にはやはり迅衝隊十三番の碑が建っていました。
逃げる幕軍を追って東征をした土佐軍の碑です。


階段脇に続く灯籠には迅衝隊八番、十二番、十五番など、そして胡蝶隊のものが見られました。


階段を上がりきると目の前がぱっと広がり、大楠の若葉の明るい色が目に飛び込んできました。
大楠に護られるようにして、左右に翼舎をもつ拝殿が玉砂利の向こうに見えました。


右手には社務所などが並んでいます。


拝殿です。
坂本、中岡など新しい日本を作ってくれた人々に感謝。


「護国神社」の扁額です。


拝殿の脇では戊辰戦争において宿毛地方の出身者で構成された機勢隊の奉納した灯籠も見つけました。


北側には築山のようなものがあり本殿がよく見えませんが、南側に回るとよく見えます。


下りの階段から浦戸湾が見えました。すぐ前方に見えるところが漁船の岸壁になっていて、
このときも1隻の大型漁船が汽笛を何度も鳴らして家族とのしばらくの別れを惜しみながら
出航するところでした。

高知縣護國神社(参拝の栞より)
一、御祭神
 高知県出身並びに縁故ある殉国の英霊、4萬壱千余柱
一、由緒
 高知縣護國神社は、幕末以来日清日露の戦役を始め、特に先の大東亜戦争にあたって国家公共のために殉じた神霊4萬壱千柱を招魂鎮祭した神社であります。明治元年11月、土佐国主山内豊範公は、高知致道館で明治維新志士四天王武市半平太命、坂本龍馬命、中岡慎太郎命、吉村虎太郎命を始め、東征の陣歿藩士105柱の霊を招魂し、その神霊を永く鎮祭するため、いまの五台山大島岬の地を社域と定め、翌明治2年3月建社の地名に因んで大島岬神社と称し、5月社殿竣工とともに神霊を鎮座地に奉還したものであります。
 明治8年5月31日、当神社は招魂社と改称、4月1日神社本庁別表神社に加列する。
 神霊4萬壱千柱は、県民にとって、血縁、地縁、或いは職場の縁深きものがあって、県民と共に在る神社である。
 当神社には、奉賛会があり、戦後もっとも困難な時代に、県下同憂の士と協力一体となって慰霊祭祀並びに神社の経営に尽力し、今日の基礎を固め、神社奉賛に全力をあげ今日に至っている。
一、祭日(略)
一、命月祭(略)


護国神社は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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