土佐の歴史散歩高知市南部>高芝玄馬墓所

高芝玄馬墓所


2010年5月28日 長浜から御畳瀬(みませ)を訪れました。


御畳瀬小学校へのトンネルの手前に山に上がる道があります。


上がり口には高知市の建てた説明板があるので、御畳瀬小学校(2012年
長浜小に統合)さえわかればだれでも行くことが出来ます。


尾根に出たら右(北)に進む。このあたりの墓石は横に寝ている形式が多い。
少し進むと右側に川崎家累代の墓という納骨堂があるので、そのまま進む。
右側に崩れかけた石垣が見えたらその上が高芝家墓所です。


高芝玄馬重春の墓石です。


弘化三午年十二月九日に三十三才で亡くなっています。
娘の喜勢は、幼くして父が亡くなり母は安芸の岩崎弥太郎の
家の近所に再婚していきました。


隣にも同じ墓石がありました。こちらが元の墓石でしょう。
角やあちこちがぼろぼろになっています。


高芝玄馬の弟小七郎と妻の古馬が喜勢を引き取り育てました。


古馬は村田家から来ています。
喜勢は17才で母夫婦と弥太郎の姉夫婦の仲立ちで、
まだ貧乏だった岩崎弥太郎と結婚しました。


高芝亦五は玄馬、小七郎の父のようです。


だれも縁者は生き残っていないのか、石垣が崩れたままでした。
弥太郎の三菱はここまでは手を尽くすことはしないでしょうね。


このほかに、近くには中岡慎太郎の母の実家である田島家の墓所もあります。


また、香宗我部系中山氏の広い墓所もありました。
後ろにもずっと中山氏墓所が連なっていました。

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