土佐の歴史散歩高知市西部>日根野弁治の墓

日根野弁治吉善の墓所


2003年11月2日 (2011年3月30日再訪)

前田秀徳先生に案内いただきました。

 坂本龍馬をはじめとして数々の土佐の若者たちを指導した小栗流剣法「日根野道場」の主です。
 小栗流は和術、拳法を加えた実戦剣法だそうで、明治維新後戊辰戦争が終わり世の中が平静になると必要とされなくなりました。
 鹿持雅澄墓所のある小山から小川を挟み、南西方200mほどの隣の山の南面中腹にあります。
 住宅地で道路が狭く、すぐ近くに駐車場がありますが、すべて住宅の方のものですので駐車はご遠慮ください。
 下の福井スーパーか四国銀行などの駐車場にお断りして置いてから徒歩で鹿持雅澄墓所を通って行くといいです。


 道場は築屋敷(現在の上町の鏡川沿い)にあったのですが、現在は何も残っていません。
 日根野道場を偲ぶには築屋敷の堤防に立ち、築屋敷の家並みと鏡川の流れを眺めたあとは
ぜひここに。
 ここには3つの墓が並んでいて、右から弁治、娘、妻鹿子の墓です。


娘は婚約が決まっていたのですが20才の若さで亡くなってしまいました。(中央)
娘を愛していた両親は大変嘆き、娘の戒名を和尚に頼み、とても愛らしいものにしています。
その戒名は「巧笑院玉顔柳眉信女」です。


隣の墓所には立派な墓が並んでいますが、一番手前が弁治の実父の郷士市川友次郎信好の墓です。
日根野家は二代目の左右馬恵吉に子がなく、市川家の二男であった弁治を養子に迎えました。


手前の手水鉢は弁治の弟子たちがお金を出し合い、弁治の父の墓に供えたものだそうです。
幕末当時の若者たちの気概が感じられますね。

日根野弁治の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
日根野弁治の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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