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江藤新平君遭厄地


2012年6月7日(木)

 先日、奈半利に行ったとき、野根山街道の入口に立ちました。そのとき、この山を越えた向こうはどんなところだろう、二十三士が半平太の助命嘆願書を岩佐の番所に届け、脱藩しようとして捕縛、処刑されましたが、彼らが船に乗ろうとした甲浦はどんなところだろう、と東洋町に行ってみたくなりました。


甲浦の漁港です。マグロ漁など漁業は盛んな様子ですが、乗組員は外国人が増えているそうです。


徳島県海部町でJR牟岐線に接続する阿佐海岸鉄道の終着駅です。
文化圏はすっかり徳島県のようです。住民票はここに置いて徳島に出稼ぎに出ている人が多いと聞きました。


駅と港の間にこの平和塔という、、日露戦争の犠牲者を祀る忠霊塔のような施設がありました。
この敷地内に江藤新平の捕縛されたことを記す石碑がありました。


「江藤新平君遭厄地」と彫られています。


大正六年に甲浦青年団がこれを建てたと記されています。

以下はWikipediaをもとにしています。
江藤新平は維新の十傑とされる。
・佐賀藩士で、脱藩し京都で桂小五郎や姉小路公知らと接触するなど活動していた。
・明治維新後は戊辰戦争に幹部として参加、上野彰義隊を壊滅させる。
・明治新政府では会計局判事に任命され、さらに太政官中弁となり、法制の整備に取り組む。
・征韓論問題から西郷隆盛、板垣退助、後藤象二郎、副島種臣らと下野し愛国公党を結成した。
・佐賀の乱を計画、蜂起したが政府軍に敗れ、鹿児島に行き」薩摩藩を誘うが西郷に断られ、
高知に来て林有造、片岡健吉に会うがここでも断られる。
・岩倉具視に会うため上京中、初めて作られた手配写真により甲浦で捕縛され、佐賀に送還される。
・佐賀で裁判が開かれ、河野敏鎌により死刑が申し渡され、処刑された。
・明治22年憲法発布の大赦令により名誉回復され、大正5年には贈正四位。

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