土佐の歴史散歩>四万十市>幸徳秋水の墓
土佐の歴史散歩>幕末・明治>幸徳秋水
2010年8月9日
検察庁の広い敷地の南側に案内板が見えました。
狭い小路を入ると墓地があり、中程に看板が見えます。
さらに看板の位置に立つと、顕彰する会が建てた大きい案内板が見えます。
写真中央が秋水の墓です。
幸徳秋水(こうとくしゅうすい)明治4年(1871)〜明治44年(1911)
高知県幡多郡中村町出身。ジャーナリスト、思想家、社会主義者、無政府主義者。
青年期から自由民権思想家の中江兆民に師事し、その影響を強く受けた。
大逆事件の首謀者とされ、他の11名とともに処刑された。
中村小学校の南角に近い露地と京町の交差点近くには幸徳秋水邸跡碑があります。
幸徳秋水の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
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