土佐の歴史散歩土佐市>中島信行生誕地の碑

中島信行生誕之地碑


2006年5月15日 用事があって宇佐方面に行った帰りに、以前から方向案内板を見つけて気になっていた中島信行生誕地を探してみました。


塚地トンネル北方の県道が水路に並行している部分に案内板が
あり、そこで小さい橋で水路を渡り、普通車がやっとの道を東南
方向に150mぐらい行ったところにありました。
県道にある案内板は北向きに建てられていて、国道から分かれ
塚地トンネルへ向けて南進すると左側に見えます。


碑は新しい感じであり、まだ文字が黒々としています。
「勤王の志士 男爵中島信行生誕之地」
説明板もきちんと建てられていましたが、こちらは初代衆議院議長のタイトルでした。
それによると、幼名は作太郎(1846〜1899)といいました。
元治元年19才の時、同じ地域の中島与市郎、細木核太郎と共に脱藩を図りました。
中島与市郎は水の峠で歩けなくなり自害しましたが、二人は長州に逃れることができました。
その後信行は長崎に出て龍馬の海援隊に入り、龍馬亡き後は慎太郎の陸援隊に移り国事に奔走しました。
明治になり、神奈川県令、元老院議官、イタリア特命全権公使を経て衆議院議長にまでなったそうです。


石が新しいと思ったら、昭和61年に土佐市郷土史研究会
が建てたものでした。こういう、能力のある人がこの地域から
世に出て社会に貢献したということを、埋もれさせないで
積極的に顕彰しPRすることは、地域の次世代を担う若い人
に自信や目標を与えることになり、とてもいいことだと思います。

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