土佐の歴史散歩南国市北部>井上俊三の墓

井上俊三の墓



大坂峠の峠から東に下る途中、佐川急便の手前を左に曲がります。
「ありがとう、逢坂霊園」の看板があります。


以前は五台山の竹林寺西側斜面に、同じような形をした妻と後妻の墓が仲良く
並んでいたのですが、管理人の方が高齢で脚が不自由になり、便利の良いここ
に移したのだそうです。
向かって右側には明治四十年九月廿八日卒という文字があります。


向かって左側には行年六十八才と彫られています。
五台山にあったとき、地震で倒れたのか、2つに折れているのを直しています。
新しい墓に囲まれて、なんだか居心地が悪そうに感じました。
でも、大事に持って来てもらって良かったです。


天保五年生まれで、坂本龍馬より一つ年上の医師です。
下岡蓮杖と並び日本の写真の祖と言われている上野彦馬と長崎で知り合い弟子になります。
写真術を習った後、大阪に店を開きますが、ちょうど戊辰戦争の頃なので土佐軍の兵士で繁盛したようです。
明治になってから高知にもどったので、この時から写真が高知でもポピュラーになったといえます。
とはいえ、写真用具一式が300両もし、1枚が何両もしたのでは、まだまだお金持ちしか利用できなかったのですね。
桂浜の龍馬像のもとになった高机の側に立っている写真は、井上俊三が撮ったものらしいということです。

井上俊三の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
井上俊三の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。
しかし、両方とも元の五台山になっています。

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