清岡治之助邸跡
2002年7月21日 吉良川、安田方面を訪れました。
それは、安田町にあるはずでした。
できたばかりの「ごめん・なはり線」安田駅の売店で聞いてみましたが、わかりませんでした。
でも、そこの人が「隣の文化センターできいてみなさいや」と言ってくれたので、すぐ隣にある
安田町文化センターに行ってみましたが、日曜日であいにく受付などには人がいません。
ふとみると宿直室のドアが少し開いていて、おんちゃんが二人いるではないですか。
「清岡治之助の碑かなにかあると聞いてきたんですが・・・」「ああ、そりゃあ簡単よ・・・」という
わけで、一本道を丁寧にカーブひとつまで図に描いて教えていただきました。安田駅から
北に約2kmの右側でした。
国道55号線の安田川にかかる橋の西詰め交差点を北に入り
約1kmで安田駅。右後ろの建物が安田町文化センターです。
文化センターの宿直さんの案内通り、右側に「清岡治之助」
の看板がありました。
屋敷跡の説明板には、治之助が11歳にして叔父の跡を継ぎ郷士職になったとか、よく学問をし、その上剣道、柔術、砲
術など文武両道に練達していたとか、藩主山内豊範公に随行して京都に行き、武市瑞山の手助けをし公家にも出入りし、
天下の志士とも交わっていたなど、野根山事件に至るまでのことが書かれている。
大きい自然石の碑が迫ってきます。
「安田町史跡 野根山二十三烈士
副首領 清岡治之助 生家」碑です。
全景です。
治之助の碑の右下には昭和48年に高知市に住む子孫の
清岡公正氏がこの土地を安田町に寄付したことが記されています。