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発生寺(ほっしょうじ)


2010年11月16日(火) 須崎の城山入口に、浄土宗 大善山 発生寺はありました。


門内には大きなイチョウの木。少し黄葉が始まっています。


門前です。


本堂です。

 ご本尊、阿弥陀如来像のすぐ後ろに立っておられる観世音菩薩は
市内、久通沖の海中から漁師の網にかかって拾い上げられたもので
南北朝時代の作といわれている。
 本堂の建立は元禄2年8月。もともとは真言宗豊山派の寺院であっ
たが、明治新政府による廃仏毀釈という悪政の被害をもろに受け、寺
領は荒廃。土佐の廃物は全国的にも有名で幕末に存在した約600ヶ
寺のうちの73%にあたる約440ヶ寺が廃寺に追い込まれたのである。
「寺院名鑑」に記されるとおり、全国の県庁所在地に浄土宗寺院が存
在しないのは高知県だけであり、廃仏毀釈が大きく影響している。
 明治25年ごろ高知県下の各寺院が復興される際、当時は浄土宗に
改宗し、現在に到ることとなる。       (発生寺パンフレットより)


本堂から奥、右には庫裏、左に庭がありました。

 発生寺第十二世、智隆房祐円は僧でありながら土佐勤王党の一員であった。
 坂本龍馬、武市瑞山、中岡慎太郎などと盛んに交流。境内には、勤王倒幕の
議論に熱くなった龍馬が手にした木刀でその首を切り落としたと言われる「龍馬の
首切り地蔵」や「龍馬手植えの松」などがある。
 龍馬が首を切ったお地蔵様。このお地蔵様、実は「延命地蔵様」なのです。
 その有り難いお地蔵様の首を切ってしまったので幕末の英雄は33歳という「短
命」でこの世を去ったと言われております。  南無阿弥陀仏 南無阿弥陀仏・・・
                                    (発生寺パンフレットより)


「龍馬の首切り地蔵」です。
お地蔵様の後ろにある松の木が、「龍馬手植えの松」だそうです。


すぐ脇には僧智隆の墓(分骨)がありました。

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