2004年12月23日の散歩は永福寺門前です。
文久元年(1861)3月「永福寺門前事件」(井口事件)が起きました。
寺田寅彦と言えばよく知られた高知県の輩出した物理学者ですが、彼の父とこの事件は関係がありました。
当時の土佐藩では上士は身分の低い郷士を含む下士をさげすみ、上士に対する下士の不満は大きくなっていました。上士である山田、益永の二人連れは永福寺門前を通りかかった際、郷士の中平と少年の二人づれとすれ違いざまに肩が触れたということで、山田が中平を切り捨てました。少年が逃げ帰り中平の兄の池田にことの次第を告げると、兄は門前に駆けつけ、山田、益永を斬殺しました。これにより上士、下士それぞれが集合し、今にも抗争が始まりそうな状況になりました。このままでは土佐藩の一大事になりそうだったので池田と少年喜久馬を切腹させ、事を納めました。このとき、少年喜久馬の介錯をしたのが、18歳で寺田家に養子に入っていた兄、寺田利正(寅彦の父)でした。このことを知っている寅彦にはどこか暗い影のようなものが漂っているようです。
永福寺入り口を東方から見る。事件当時は堤防があったようです。
正面から門前を見る。
門脇にある掲示板。今日のお説教は「憍慢心 いちばんよいのはこの私 ろくでもないのはみな他人」
本当に近頃はこのような自己中心的でプライドばかり高く、コミュニケーションのとれにくい人が増えてきて、
なんだか恐ろしい世の中です。
「浄土真宗大谷派永福寺」の札。
掲示板には「潜龍山永福寺」となっていました。
門を入るとすぐに永福寺本堂があり、午後3時過ぎでしたが読経の声が響いていました。
前庭もきれいに整えられ、未だ健在という感じでした。
わが家は永福寺の檀家,母の49日,3回忌は永福寺に親戚に集まって貰ってやった. ここの寺では,蝋燭を使わずランプになっていたが,息子がアメリカに出発する前日に母の1回忌をしたつくばの常福寺では蝋燭を使っていた.地震の時などには危ないよなあ. 永福寺は,坂本家の墓のある丹中山にも近いが,坂本龍馬の遊び場だったそうだ.今の住職の曾祖父さんかその先代の頃には,龍馬がやってきて寺で作っているカボチャをくりぬいて魚のはらわたを入れたり,いたずらをいっぱいしたそうだ.子供の頃,親父の法要の時に家にやってきた当時の住職がそんな話をしていた.「竜馬がゆく」が世に出る数年前のこと. (館長の同級生のイラレより) |
永福寺は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。