土佐の歴史散歩土佐市>細木家墓所

細木家墓所


2012年6月9日(土) 次の本の執筆中の前田秀徳先生に土佐市新居を案内していただきました。


明るい山裾の墓所に、細木家の大勢の人々の墓石が並んでいました。


勤王の志士細木元太郎と妻鹿衛の夫婦墓です。
初め核太郎(もとたろう)といい、庄屋細木繁蔵の長男で、祖父は細木庵常(いおつね)です。
土佐勤王党に加盟し、類族の中島信行、中島与一郎とともに脱藩したが、与一郎は脱藩途中でやむなく自刃しました。
核太郎は長州で活動し、大政奉還後は戊辰の役に参加し彰義隊との戦いで負傷、迅衝隊でも奮戦しました。


戊辰の役後は中央政府には行かず、地域の戸長などを勤めました。
明治三十七年四月六日歿、享年六十有七。


勤王の志士細木元太郎墓所と彫られた石碑や説明板もあり、わかりやすい。


元太郎の父母、繁蔵と民の墓です。


そして元太郎の祖父細木庵常の墓です。


左が細木櫻生庵常墓で、右が妻の墓です。
細木家は代々庄屋で、庵常も新居、長浜、野市、諸木など各地に転勤する移動庄屋でした。
天保庄屋同盟の指導者の1人で、庄屋層の要求の歴史的解説書を現しています。
また、今村楽に国学や和歌を学び鹿持雅澄などと交流し、歌人庄屋と呼ばれました。
妻は裕福だった中島氏から来ています。
嘉永元年(1848)69歳で歿。

細木元太郎墓、細木庵常墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

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