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板垣退助墓


 私の通勤途中の薊野−一宮間に「板垣退助墓500m」という看板が上がっていました。
 以前この看板に誘われて小道に入ったことがありますが、みごとに振られました。
 そこで2004年2月29日 再度挑戦してみました。
 住宅やアパートが建て混んで小道が曲がりくねる複雑な町です。
 小さな案内板は一部ありますが、大きい案内板は墓にたどりつくまでありません。
 そして極めつけは曲がらなければならない最後の交差点にまったく案内板が無いことです。
 今回もその交差点を通り過ぎて以前と同じパターンになりそうでした。
 ちょうど3歳ぐらいの女の子を連れて散歩中の方を見つけ道を訪ねるとやはり通り過ぎてしまっていて、引き返さなければなりませんでした。

 板垣退助については>生誕地跡、屋敷跡が他のページにあります。


 徒歩だと東からも入ることができるようですが、この立派な道には車は入ることができません。


階段を上がると乾家の墓所でした。北向きの墓所で意外に暗かったのでぶれてしまいました。
元は板垣姓であったが故あって乾姓となっていました。
掛川で山内一豊に召し抱えられ、幕末の戊辰戦争の折に板垣に復帰しました。
大きい墓が並んで、昔からの乾家の繁栄ぶりが感じられました。


 これが板垣退助の墓でした。
 立派ですが、なんだか新しい感じですね。花崗岩のせいかな。


隣に並ぶ妻の墓と比べてもはっきりと新しい感じのする墓石です。


戊辰戦争の勝沼で近藤勇たちと戦う直前に、元の甲斐武田支流であった板垣姓を名乗り
住民を味方につけたという話があります。


後ろに回るとびっしりと板垣の経歴を示す文字が並んでいますが、
側面の最後の方には昭和43年板垣會の文字が見えました。


墓所を出ると、インターチェンジの進入路が描く美しい曲線が目に飛び込んできました。


夕暮れが近づいてくる・・・。
見送ってくれたのは下弦の月と小さい実のたくさんぶらさがったハゼ?の木。


<参考>東京の品川神社にある板垣退助の墓
(風呂岩氏撮影)

板垣退助の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
板垣退助の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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