土佐の歴史散歩南国市南部>島村家(衛吉)の墓所

島村家(衛吉)の墓所


2010年11月4日(木)

 今日は芸西の資料館に行こうと思って出かけました。大変いい天気でした。空港の南の海岸通りを西から東へ走ってきて、トリム公園の交差点にさしかかろうとして、突然思い出しました。この交差点から南西に旧道を少し進めば、土佐勤王党の参謀役であった島村衛吉の墓があるはずだということを。
 そしてゆっくり減速して交差点を右折というよりもUターンに近い鋭角に曲がって、久枝の集落を通り抜けました。すると、次の下島集落との間に開けた場所があり、背の高い石碑が目に飛び込んできました。


背の高い石碑が目につきました。


「贈従四位島村衛吉先生之碑」と刻まれています。下に碑文を示します。
ちなみに坂本龍馬、中岡慎太郎、吉村虎太郎、武市瑞山は正四位です。

 島村衛吉名は重險、南国市下島に生まれる。城下新町に出て、文武両道を修め、
更に江戸に遊学、桃井春蔵の鏡心明智流の奥義を極めてその塾頭となった。
 疾に志士武市瑞山を盟主とする土佐勤王党の参謀役として国事に参画、参政吉田
東洋暗殺事件に連座して、同志と共に投獄せられた。
 然し確固たる信念のもと、たび重なる拷問にも、口を織して語らず、遂に血を吐いて
節に殉じた。
 時に慶応元年三月二十三日、享年三十二才であった。嗚呼。
        昭和四十三年十二月西村能喜謹書  南国市三島神社より移転す。

(三島神社はこの墓地より北東に200mぐらいの場所にあります。)


右の白い石碑は、昭和45年に南国市の史跡指定を受けたことを示しています。


島村家の墓所は大変広く、古くから名家であったことがわかる。
島村衛吉の墓は後ろから3番目ではあるが、列の右端であり、わかりやすい。

島村衛吉の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
島村衛吉の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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