土佐の歴史散歩高知市北部>岡田宣振以蔵墓

岡田宣振以蔵墓


 2004年1月18日(日)、今日は初めて岡田以蔵のお墓を訪ねました。
 高知市北部環状線の薊野(あぞの)付近にヤマダ電機の黄色いビルがあります。
 その裏の環状線に沿った旧道北側に立つ電信柱に、「絵金・以蔵墓」の掲示が貼ってあります。


ここから北の山際まで数十メートル。電柱には矢印と絵金、以蔵の墓と書かれています。


山際にお地蔵さんが祀られていました。
左側にこの上に上がる細い道がありました。


途中分かれ道がありますが、ひたすら上に上に登ります。尾根筋に出たら竹林に入ります。
入り口は少し尾根筋を探すと目印があります。


竹林を奥に進み、北斜面が始まる肩の部分に一列に並んだ岡田家の墓地があります。

(2011.02.18)
以蔵ファンが多いのか花や榊などが沢山捧げてあり、すぐにわかります。
といっても、「岡田宣振(よしふる)」と書かれているのではじめは半信半疑でした。
後ろ側に「岡田宣振以蔵墓」と書かれた杭が立っていたのでやっと確信できました。

(2011.02.06)
龍馬に呼ばれ勝海舟の用心棒となり、維新に貢献しました。
「人斬り以蔵」と呼ばれ、土佐勤王党員としては名簿から除外されました。
首領武市瑞山の陰の部分を引き受けてよく働きました。
武市瑞山が切腹した慶応元年閏5月11日に斬首となりました。

岡田宜振以蔵墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
岡田宜振以蔵墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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