土佐の歴史散歩四万十市>冨賀源之助の墓

冨賀源之助の墓


2013年1月30日(水) 土生山を訪れました。


背の高い新しい感じの立派な墓が目をひきました。
冨賀源之助累代墓です。
源之助は明治十年(1877)十二月二十四日、40才で歿。
昭和九年に累代の墓として作り直されたようです。


側面から後面にかけて次のような事績が刻まれていました。

源之助は中村の刀剣研師で鑑定もした。勤王の士が常に集合し
源之助もこれに交わった。有事に備え多数の刀剣を蔵置していた。
しかし、官憲に察知され、同志に累が及ぶのを恐れ、刀剣を他に移し
割腹した。時あたかも西南の役が起きた明治十年十二月二十四日。
四十にして責任感が強かったことをもって人は天野屋利兵衛と呼んだ。
昭和九年五月十日建之 曽我部達之助撰文

(※天野屋利兵衛は赤穂浪士を支援した大阪の豪商として仮名手本忠臣蔵に登場する)

冨賀源之助の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

土佐の歴史散歩四万十市>冨賀源之助の墓