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土佐藩砲台跡


2005年9月24日 宇和島に行く途中に訪れました。


須崎の町中の狭い通りを走り、やっと出ました。遊具があって児童公園になっていました。


入り口には陶板の案内板がありました。

昭和19年11月 国の史跡指定

 幕末、異国船の来航があり、海岸防備のため藩命により文久3年
(1863)7月に着工し1ヶ月半の短時日に完成した。
須崎には西、中、東の3カ所に台場が置かれたが、そのうち現存す
るのはこの西台場のみである。規模が最大で長さ116m、砲門7座、
内側に弾薬室が7カ所あったが、明治初年埋められた。この砲台跡
は明治40年、須崎町が払い下げを受け、公園として保存してきた。
当時使用した砲弾が残っている。

 慶應3年(1867)8月6日、イギリス水夫殺害事件で公使パークスは
土佐藩と交渉するため軍監(バジリスク号)で須崎港に入港し、幕府
艦(回天丸)や坂本龍馬も来港して外国交渉の舞台となった。

  平成10年3月20日 須崎市教育委員会 


砲台跡に何か記念碑が立っています。

 
西浜公園と彫られています。裏にはぎっしりと文字が並んでいます。
ペリーの来航から始まり、土佐藩が砲台を作ることになった経過、明治になってからのようすや公園となるまでの経過が説明されています。


砲台を越えると線路があります。
線路の向こうには建物の間に海が見えました。


公使バークスを乗せたバジリスク号もこんな風に沖の方から姿を見せたんだね。

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