土佐の歴史散歩芸西村>野老山吾吉郎顕彰碑

野老山吾吉郎顕彰碑


2010年11月4日(木) さらに門脇さんと歩きます。


南北の通りから脇の坂道に入ると大きい碑のある墓地が見えます。


維新勤皇志士 野老山吾吉郎顕彰碑 高知県知事中内力書とあります。
裏側には碑文が彫られていました。

 君は名を輝朗 通称を吾吉郎と云う  山野辺寿満平の二男として生まれ 文久三年新規に召出され 旧姓野老山を称える
土佐京都 藩邸に勤役中 元治元年勤王の志を以て脱藩 同年六月五日京都池田屋に同志会合中 近藤勇の指揮する新撰組に
急襲せらる 吾吉郎は同志藤崎八郎と共に 板倉筑前介を訪れようとし 三条小橋に到る時 新撰組に囲まれ奮戦して重傷を負い
長州藩邸に逃れしが創癒えず 六月二十七日割腹して果てた 時に年十九歳。京都霊山墓地に長州藩士の礼を以て葬らる
 維新未だ成らざるに 若くして倒れし吾吉郎を悼み 野老山氏一族は君を顕彰して 永く後世に伝えるものである
                                          昭和六十三年吉日建之 野老山建 藤沢直智 公文清利


自然石の墓石なども建ち並ぶ広い墓所です。


最前列には近世の人々が眠る墓がありました。


さらには隣の林の中に、おそらく野老山神社とでもいうのではないかと思われる神社がありました。
野老山五吉郎の墓は高知市の真宗寺山にあります。

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