土佐の歴史散歩芸西村>千屋家墓所

千屋家墓所


2010年4月6日(火) 芸西村文化資料館で紹介いただいた郷土史家の門脇鎌久さん(農業90歳)に安岡家墓所とともに案内していただきました。4月8日にも追加撮影しました。


金岡城跡です。


千屋家墓所の近くにあり、今は城八幡宮が建っています。
この城はこのあたりを治めていた和食氏の城であったが、戦国時代に安芸氏の
元に下った。長宗我部氏が安芸氏を攻める前には黒岩越前が守っていた。
三日三晩戦ったが黒岩方五百騎と長宗我部方二千騎のちがいで耐えられず敗走したという。


門脇さんたちがお世話をして建てた「黒岩越前殉忠歌碑」があり、
歌は入交好徳、書・碑は入交好保となっています。


金岡城の西方数百mの所に千屋家墓所がありました。
千屋一族からはたくさんの勤王志士が出ています。


21歳で亡くなった従五位千屋熊太郎孝樹の遺髪墓です。
野根山二十三烈士の一人で、墓は田野町福田寺にあります。
後ろには千屋富之助孝正夫婦が並んでいます。
また、熊太郎の左には父の千屋清助夫婦が並んでいます。

熊太郎の元の墓石
風化して文字が読めなくなっていますが、熊太郎の文字はかろうじて見えています。


宗左衛門則義は清助の父、熊太郎の祖父です。


清助孝藤は熊太郎の父です。右隣には妻の墓もありました。


富之助、寅之助(菅野覚兵衛)兄弟の父である、
民五郎孝明とその妻(右側)及び後妻(左側)の墓です。


富之助孝正と妻(手前)の墓です。
娘の仲が種崎の中城家に嫁ぎました。


千代太孝秀の墓です。富之助の嫡男です。


富之助の二男、宗吉孝忠の墓です。隣は宗吉が福島藩で養子に入っていた妻、
そして後ろは28歳で亡くなった二女です。


墓所の前には白髪神社が見守るようにありました。
門脇先生、ありがとうございました。
どうぞお元気で、もっともっと本を書いて記録を残してくださいね。


国道から入る一番の近道は、歩道橋から500m東のスリーエフを北に上がるといいです。

千屋富之助、熊太郎の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

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