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植木枝盛旧邸

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2003年9月26日 高知市議会9月定例会の中の質問に高知市長が答えました。
 枝盛邸は枝盛が居住し、憲法草案を書いたとされる部屋が残っていることに意義があるが、昭和十五年以降4回もの増改築を重ねているため文化財としての価値に疑問があり、市が保存することは困難である。

2003年12月10日 旧邸を保存する会のメンバーらが高知市の新市長である岡崎誠也市長を訪ね、2,340人分の署名を提出して建物の保存を重ねて要望したが、市長は財政再建を公約として当選したので現地保存は財政を考えるとできないと答える一方、書斎については教育委員会や議会など内外の意見を聞いた上で判断したいと答えた。
*財政再建を考えるなら、戦災を逃れやっと現物の残っている本物の観光資源をむざむざ無くしてしまい、価値の低い石碑ばかりにすればいいというのだろうか?財政再建には観光資源への投資も必要だと思うがおかしい話だねえ。こんなことでは「尻すぼみ」の一方じゃ。

2011年8月20日 「自由民権記念館において憲法草案の生まれた書斎」展が開かれました。老朽化した植木枝盛旧邸から書斎部分だけを自由民権記念館の展示室内に移築し、それに会わせた企画展が開かれました。



高知市中心部から少し西北の中須賀町には誕生地の石碑があります。
植木枝盛についてはこの石碑の裏側に彫られている碑文で紹介しましょう。

 「植木枝盛先生は安政4(1857)年正月20日ここ土佐国土佐郡井口村中須賀に生まれ、はじめ藩校致道館に学び、ついで東京に出て自学した。明治10年高知に帰り立志社の運動に参加しこれより板垣退助先生等と自由民権運動の指導者として活動した。その後高知県会議員第一回衆議院議員となり明治政治史に不朽の業績をのこすと同時に、思想家としては日本の政治思想史上類を見ない高さを示しその生涯は多彩を極めた。
明治25(1892)年1月23日東京に病没。時に齢36歳であった。
    昭和32年8月建立」


ごく短くまとめられたこの説明では憲法草案のことが出ていませんが、立志社で彼が起草した「東洋大日本国国憲案」は現在の日本国憲法に取り入れられています。


2003年1月25日 市内の遺跡を探訪しました。


桜馬場東側の歩道に「谷真潮」らの屋敷跡の碑があります。
このすぐ南の角を西へ20mぐらい入ると道路北側に植木枝盛旧邸碑があります。
実は谷家が住んでいた家と、その後植木が住んだ家は同じものだったと考えられています。


 歴史愛好家らからは行政による保存修復が求められていますが、手がつけられていないようです。
 


戦災により現物の残された史跡が少ない中で、市が積極的に保存しなければ次々と無くなってしまいます。


2011年9月12日(月) 訪ねてみると全部無くなっていました。


老朽化した家は取り壊され、書斎だけは民権館に、ここにはまったく何にも残っていません。
またひとつ現場で見ることのできる史跡が失われました。

植木枝盛邸跡は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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