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武市瑞山殉節の地

 山内家は徳川に恩義があり、尊王ではあったが薩長と異なり倒幕ではありませんでした。右腕ともいえる吉田東洋を暗殺された容堂公は文久3年8月の京都の政変を機に土佐勤王党の弾圧に乗り出しました。党首瑞山を始め仲間は次々と捕らえられ、やむなく脱藩する者もいました。
 元治元年、瑞山らの助命を願い出る一方、脱藩して蜂起しようとした清岡道之助たち23士も徳島藩で捕らえられ、奈半利河原で処刑されました。
 慶応元年、瑞山は長い獄舎生活で衰弱した体ではあったが、潔く立派に三段切りの切腹をして果てたということで、墓は高知市吹井の住居近くにあります。


2010年7月26日 高知城散歩の脚を伸ばしました。


大橋通電停から北にアーケードを進み、「ひろめ市場」のある交差点を西へすぐ。
幕末、土佐藩南会所のあった区画で、向かいは深尾弘人(ひろめ)の屋敷でした。


「ひろめ市場」は大橋通と帯屋町筋の交差点の西北角です。

武市瑞山殉節の地は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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