(2004年11月23日、田中邸修復のあとを見てきました。さらに八畳岩もその下に掲載しました。)
2003年3月21日 旧田中良助邸のある柴巻に行って来ました。
坂本家は郷士株を買って郷士になっただけあって、和霊神社周辺もそのひとつですが城下周辺のあちこちに土地を持っていて、そこから利益を得ていたようです。
そのひとつがこの柴巻で、田中良助はここの管理人でした。
上町二丁目から北へどんどん進むと円行寺温泉を過ぎ、盆地のような所に出ると円行寺(地名)です。
円行寺からさらに土佐山方面へ坂を上り、弘瀬へ抜けるトンネルのある本道から左へ分かれ、柴巻への道をたどります。
西方へ向かっていた道路が折り返して東方へ上り出すと間もなく道路左側にこの標識が見えます。
ここで、車を停め、徒歩で左の逆行する坂道を上ります。
すぐに旧田中邸が見えてきます。
立派な石垣に囲まれています。
石垣の切れ目が正門です。
石垣には丸いサボテンがむらがるようについています。
石垣の塀の中に入り、旧邸を見上げました。
白いテントに屋根が覆われていますが、高知市がやっと補修にのりだしたようです。
旧邸の石垣前から左(西)方にのびる道をたどると、そこには田中家の墓所があります。
墓所からは手前によく手入れされた畑が見え、はるか遠くに市内の町が見えます。
何か少し仙人のような気分です。
この距離を健脚の龍馬は何度も通い泊まっては兄のような良介と遊びました。
また、丸亀剣術詮議行のため文久元年10月ここで2両を借り、証文を残しています。
2004年11月23日 高知市が修復工事が終わり、11月8日から公開されたので行ってきました。
2009年10月12日にも行ってきました。
田中邸入り口に新しい掲示板ができていました。
建物を一度分解して風化し汚れた板を磨き直し、一部は新しい材を入れてもう一度組み上げたといいます。
瓦は全部新しくしたようで、古い瓦は鬼瓦とこの一枚だけ、家の手前の雨樋の出口に敷いてありました。
(2005.02.12)
きれいな床の間です。田中良助はどんな掛け軸をかけていたのでしょう。
いろりの縁にはとっくりが・・・。
良助と龍馬は囲炉裏の傍で何を話したのでしょうか。
裏玄関の稲妻状の黒い壁は松煙壁といって、魔よけのおまじないだそうです。
龍馬が子供の頃に遊んだという池が屋地の西端にあります。
今日はボランティアガイドの金子さんにお相手いただき、
その後八畳岩への道を教えていただいてお別れしました。
ありがとうございました。
新しい屋根瓦
パンフレットと屋根瓦の家紋を模した文鎮
(2009.10.12)
車で八畳岩へは田中邸の下から1つカーブを回って進み、ちょうど田中邸の真上あたりに来ると案内板が見えます。
また、田中邸の墓所入り口から徒歩で小径を直登してくるとちょうどここに出ます。
車はここに置き、徒歩でこの道を途中にある案内板に従って進みます。
崖をよじ登るように上がるとそこには八畳敷きぐらいの
平らな岩がひろがっています。そして眼前には高知市街が。
左向こうには二本のテレビ塔のある五台山、中央部にはホテル日航高知、高知市カルポート、トップワン四国の3つ
の大きいビル、右には筆山の左裾、その手前の大高坂山に小さく高知城が見えます。
今日は遠方が霞んでしまってはっきりしませんが、山並みの向こうには太平洋が見えます。
龍馬は小さいときからここに遊びに来てこの景色に親しみ、城下の向こうの太平洋に思いをはせていたことでしょう。
田中良助邸跡は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。