高知市中心部は古代、中世は海中ないしは湿地じゃったきに、江戸時代になって山内一豊が実用的な城下町を初めて完成したがじゃと。
太平洋戦争末期には、米軍の空襲に会うてほとんど焼け野原になり、史跡建築物等と共に県立図書館に収められちょった歴史資料なども大部分が焼失してしもうたと。
ほんで中心部のほとんどの史跡には建物は残っちょらんきに、石碑を建てちゃあって、それぞれの説明を書いちゃある。
高知市中心部で当時の建物が残っちゅうがは高知城、山内家下屋敷長屋、大川筋武家屋敷、旧関川家屋敷。時代は下るけんど、寺田寅彦邸、植木枝盛邸(一部)、武市瑞山旧邸などが残っちゅうきに見に行ってよ。由緒のある古い建物が残っちゅう神社仏閣はそういう意味でも価値があるねえ。
先ず、高知城へ行って、天守から町を見下ろしたり展示資料を見た上で街を歩いて、高知城との位置関係を体感しながら見学したらえいと思うぞね。
高知市北西部には龍馬がよう遊びに行った田中良介旧邸が最近修復されて現存しちゅうがやきぜひ行ってみてや。
美しい鏡川のほとりにある筆山には山内家墓所、野中兼山墓所、吉田東洋墓所、その他多数の名のある人々の墓があるきに登ってみたらえいぞね。
お墓はその人達が本当にその時代に生きていた証のようなものじゃきに、怖がらんと墓前に参り墓碑を読み、当時を想像しその人たちのおかげで現在の私たちがあることに思いをはせるのがえいと思うぞね。
必見ながは、丹中山高知市歴史墓地公園の坂本家墓所ぞね。丹中山は開発され削り取られたがやけんど、ここに点在しちょった龍馬の先生や仲間たちをはじめ当時の医師などの墓がまとめられちゅうきに幕末ファンは必見ぞね。
さらに高知市北部には西南戦争で熊本城に立て籠もった谷干城、人切りと呼ばれた岡田以蔵、狩野派の絵師の絵金の墓などがあるねえ。
東部には土佐勤王党主の武市瑞山の家と墓、それにびっくりするけんど、源頼朝の弟である源希義の墓があるがやき。
南部には四国を制覇した長宗我部元親の墓や銅像、「はりまやばし」の起源である播磨屋宗徳碑などがあり、桂浜には坂本龍馬の像が立っちゅう。
西部には著名なお墓はありませんが、朝倉城跡や朝倉古墳、重要文化財の美しい彩色の壁画を持つ朝倉神社などがあるぞね。
市内中心部は通常の電車、バス、それにぐるりんバスが利用できるきね。<==残念ながら、 ぐるりんバスは9月30日で終了しました。
五台山、桂浜方面の観光には「MY遊バス」を利用できます。また、四万十周遊のバスもあります。「MY遊バス」は乗車前に切符を購入してください。ここをご覧下さい。
高知市全域の図 |
高知市 左の図の どの部分ですか 中心部 (筆山・皿ヶ峰) 東部 西部 南部 北部 春野 土佐山・鏡 |
高知へおいでやったら、ぜひ宿泊してゆっくりと散歩を楽しんでや。
龍馬ファンなら龍馬グッズのある上町の「南水」へ、また、リッチな方は天皇さんが宿泊した「城西館」、あるいは「三翠園」。また、学生さんなら2003年8月8日オープンの高知ユースホステル「酒の国共和国」がおすすめぞね。こう言うても別に宣伝料はいただいちょらんぞね。(笑)
とりあえず荷物だけチェックインして、ゆっくりと散歩してや。中心街の散策は歩くがもえいけんど、自転車があったら便利やきにホテルで聞いてみてや。
旅の味覚として私のお薦めのひとつは、「ひろめ市場」ぞね。土佐藩の名家老、深尾弘人蕃顕(ひろめしげあき)の屋敷跡にオープンしちゅう「ひろめ市場」は大橋通電停からアーケードを北に入り、帯屋町商店街との交差点にあるき、すっとわかるぞね。高知名産の魚、肉、焼き物、揚げ物などの専門店が一堂に並んでいてテーブルが店の前にならんじゅう。地元の人も多く元気な土佐弁が飛び交いゆう。
もうひとつのお薦めは館長がしょっちゅう行く店で、中央公園の南側、つまり堺町の電車通り南側にある、両側をビルに挟まれた2階屋の「葉牡丹(はぼたん)」じゃきに。土佐の歴史家や司馬遼太郎も取材をかねて飲みに来よった歴史のある大変庶民的な居酒屋ぞね。安うてうまい串カツと生ビールというイメージのお店じゃけんど、二代目のご主人が刺身や鍋に力を入れちゅう。昼食もあり、周囲のオフィス街のOLたちにも人気ながやき。
太陽の恵みがいっぱい降り注ぎゆうきに高知の食材は野菜も魚も種類、味ともに日本一豊かでうまいぞね。酒もうまいきに、歴史を訪ねた後は食べて、飲んでいってや。
高知市及び周辺の施設リンク
いの町紙の博物館 高知県立文学館 高知城 土佐山内家宝物資料館 高知県立美術館 高知市立自由民権記念館 わんぱーくこうちアニマルランド 高知県立歴史民俗資料館 高知県立牧野植物園
高知県立坂本龍馬記念館 龍馬歴史館 高知市立龍馬の生まれた町記念館 横山隆一記念まんが館