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「天災は忘れた頃にやってくる」ということばで有名ですね。
寺田寅彦旧邸は城西公園の北側で、江の口川に面しています。ついこの前まで江ノ口川は汚い川の代表となっていたのですが、その昔はもう少し清らかな川だったと思います。(寅彦は「宅の前を流れている濁った堀川」と記述していますが)城山の緑と合わせて、よい環境で自然に親しみながら育ったようですね。
明治11年(1878)、東京生まれですが、寅彦は4歳から19歳までこの家で育ったようです。
幕末の井口事件に関係した宇賀家から寺田家に養子に入ったお父さんは土佐藩の下級武士で、後に陸軍軍人になっています。
寅彦は江の口小学校、旧姓第一中学校を卒業し熊本五高から東京帝国大学理科大学物理学科に進みました。物理論文を300本も発表するなど物理学者として有名ですが、熊本五高の英語の教師であった夏目漱石に師事し、多くの随筆を書き文学面にも才能を発揮しています。高知に関する随筆もたくさん書いています。
その作品の多くは既に著作権が消滅していて、インターネット上の「青空文庫」で読むことができます。
昭和10年(1935)、57歳で東京で亡くなりましたが、高知の墓所で父母とともに眠っています。
>>寺田寅彦記念館友の会
高知城の北の外堀を兼ねる江の口川のほとりにあります。
戦災で一部焼失し、復元されています。
敷地ももっと左手及び奥に広がっていたのですが、道路や法務局の
建築により狭くなっています。
戦災で焼け残った寅彦の勉強部屋です。
敷地が狭められた時に少し東に移動しているようです。
平成元年に、老朽化した一部の材を新しくし改築されました。
(昭和42年邸跡とともに高知市史跡に指定)
この座り机で苦手な算数の問題を解いていたのでしょうか。
寺田家に残されていた設計図により昭和58年に「寺田寅彦記念館」として復元された主屋は、どっしりした大きい屋根が特徴です。
玄関です。
座敷には立派な書の掛け軸がかかり、生花も添えられていました。
西の間には寅彦の遺品や家族写真などがいくつか展示されて
いました。これは父、利正に買ってもらった蒸気機関の模型です。
ただ、ここは木造の建物なので、火災で焼失する恐れがあり、
多くのものは県立文学館の寺田寅彦記念室に納められています。
主屋に先だって昭和51年に復元された茶室です。
毎週水曜日と年末年始は休館日ですが、それ以外は朝9時から夕方5時まで無料で見学できます。
また、句会などで利用するには高知市教育委員会生涯学習課に連絡すれば表座敷や茶室を借りることができます。
寺田寅彦邸跡は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。
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