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高知(城)公園


高知城は大阪城、高田城とともに2014年11月5日、夜景観光コンベンション・ビューローにより日本三大夜城に認定されました。


 この地は江戸時代の山内一豊以前に既に城にした人がいました。南北朝には大高坂松王丸が、戦国時代の終わり頃には長宗我部元親が城を築きました。しかし、当時はまだ土地が低く川の氾濫が度々あり、安全な広い城下町を作ることができませんでした。また秀吉の要求による水軍の力を増強することや、海上交易を盛んにするため長宗我部元親は浦戸に築城しました。関ヶ原の合戦で手柄を立て土佐に封ぜられた山内一豊は一旦浦戸城に入り、築城の名手といわれた百々越前守に命じて高さ44mの大高坂山に高知城を築きました。また、一豊は土佐に赴任するまでに各地で経験した治水工事法に力を入れ城下町を整備し、山内家の治世は約270年続きました。ところが、この間に城下町から出た火が大火事となり、天守も焼け落ちてしまいました。財政的に苦しい中、元の形に再建するのに20年もかかったといわれます。やがて、明治維新となり全国に廃城の命令が出、高知城は市民の憩いの場として高知公園となりました。  「高知城公式ホームページ」へ

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(12月)
筆山から高知城を望む。

現在でも高知城は高知市街の中心です。明治の廃城令のあと二の丸、三の丸にあった大きい建物をとり
壊して樹木を植えましたが、本丸内の建物はそのまま残し修復され貴重な文化財として公開されています。

高知公園の周囲を見てみると、南には県庁、市役所、裁判所などの官公庁が並び、東には学校や商店街、
銀行など、北や西には住宅街や学校などが広がっていて、城下町の名残が感じられます。


(2月)
本丸の建物は天守閣だけでなく懐徳館、正殿、納戸蔵多聞、東西多聞、黒鉄門、各矢狭間塀など
江戸時代のものが全てそのまま残されていて重要文化財や史跡としての高い価値があります。
小さくてこぢんまりとしていますがバランスの良い天守閣を見上ると、いつもいいなと思います。
私の大好きなお城です。

では、私の撮ってきた写真を使って高知城や二の丸、三の丸など高知公園を紹介します。

まず公園のあちこちに小さな案内看板が立てられていますが、これがなかなか良いものです。
ここをクリックして別ウインドウで案内図の写真を出してください。

残念ながらこれには追手門や山内一豊像の位置が書かれてないのですが、この地図の下方右隣です。
高知城の歴史はこの人から始まるので、見学もここから始めましょう。


(12月)
この城を作ったのは藩祖山内一豊(やまうちかつとよ)であり、その像は追手門の右隣の
県立図書館の前にあります。槍を持ち騎馬にまたがった勇壮な姿です。
戦国時代、山内一豊は織田、豊臣に仕えていましたが、関ヶ原の戦いでは徳川方に付き
軍功を上げ、土佐国9万8千石に封されました。後に20万2千6百石に見直されています。

この像は彫刻家本山白雲により大正2年に制作され、大勢の祝賀客が集まり除幕されました。
しかし、第2次大戦で金属材料として供出させられ、戦後、山内家に残されていた小さな彫刻像
から再び蘇った銅像です。現在、この台座の横にある大きい石碑は元の銅像の時のものです。
(2月)

この像の場所は以前は藤並神社といい、一豊夫妻を祭る城内社でした。
当時は北入口からの参拝でしたが明治になって間もなく追手門側からの
通行が許され橋が架けられました。後に火災や掛川神社などの経緯を経
て鏡川の畔に山内神社を設け、そこで代々の藩主を祭ることになりました。
(2月)
神社南口に今でも建っている県社の碑。


藤並公園前の橋のたもとでは囲碁将棋の同好の士が
三々五々集まっては楽しんでいます。

次に追手門を通り、天守閣に向かいましょう。
(2月)
左が追手門、通りの向こう側の堀を挟んで右手に山内一豊の騎馬像が見えます。
この堀の岸に、野中兼山先生邸跡碑があります。

(8月)
野中兼山は2代藩主忠義の時代に取り立てられ活躍し、対岸の城郭内に広い屋敷を持っていました。
兼山は藩の財政を豊かにするため、用水を引き農地の開発や新しい産業の奨励改革に力を尽くしました。
しかし、余りにも剛腕な上に非情さがあり、領民が疲弊したことを理由に他の家老達により弾劾され、
お家断絶となりました。

(5月)
一豊像から追手門への途中に、追手門と天守閣が一つの画面に納まる場所があります。
高知城の特徴のひとつなのでカメラを持っていたら絶対にここでシャッターを押しましょう。

また門の近くには高知城が国宝とされていた時代の「国宝高知城」という石碑も残されています。
戦後文化財制度が変わり、現存天守12城のうち姫路城、彦根城、犬山城、松本城の4城だけが
国宝として選ばれ、弘前城、丸岡城、松江城、備中松山城、丸亀城、松山城、宇和島城、高知城
の8城が重要文化財となりました。

高知城の建造物に関して国の重要文化財指定は以下の15棟となっています。
天守
懐徳館
納戸蔵
黒鉄門
西多聞
東多聞
詰門
廊下門
追手門
天守東南矢狭間塀
天守西北矢狭間塀
黒鉄門西北矢狭間塀
黒鉄門東南矢狭間塀
追手門西南矢狭間塀
追手門東北矢狭間塀

追手門だけでなく、追手門の左右に伸びているこのような矢狭間塀も重要文化財です。
(8月)
門の内側から南を見たところです。門に迫る敵を背中から攻撃する矢狭間です。
追手門西南矢狭間塀

(12月)
こちらの矢狭間塀では堀を渡る敵を攻撃します。「追手門東北矢狭間塀


さらに、国宝石碑の右の説明板後方の石垣の中には石を献納した人や地域の名を
示すのではないかと思われるカナ文字が刻まれているのがわかるので探してみてください。
歴史写真家の前田氏によると城内には30を越える刻印のある石があるそうです。

(11月)
享和元年(1801)年に建て換えられた重要文化財の「追手門」です。
二階の部屋から石を落とせる仕組みがあります。
門前に来た敵は左手や背後の矢狭間塀から狙い撃ちにされます。


重厚な追手門の扉です。追手門をくぐり広場に出ます。
目の前には登城のための広い階段と手前に作られた板垣退助像です。

(2月)
全国に5つもある板垣退助の銅像のひとつです。


大正12(1923)年に本山白雲により制作されていましたが、戦争のため供出され、
この像は昭和31(1956)年に浜口青果により制作された二代目です。


板垣退助像の左側の登場段を上ります。ここから本丸入口までは元気な人なら約5分です。
でもあちこち見ながらゆっくり焦らず歩いていきましょう。
(3月)
上がり始めた石段は板垣像を巻くように右に曲がります。ここで少し寄り道です。


左手の石垣の方を見ると、平たい石の板が石垣から突き出しています。
(7月)
これは石の樋です。雨の多い高知県では排水をできるだけ石垣に
かからないように遠くの地面に落とすようにしていました。

もとの階段を上がり詰めると右側に、一豊の妻千代の像があります。
(5月)
いくつかある千代の美談のうち、夫のために名馬を買い求めた逸話を表しています。
この像の後には山内家の家紋三ツ柏の元であるカシワの木が植えられています。

(5月)
ここから北進すれば北回りを楽しむことができます。
少し西進してから右に曲がると三の丸、二の丸に上がることができます。
パラソルのある出店の向こうを左に入ると南回りを楽しむことができます。

***


追手門から二の丸へは主に3通りの通り道があります。

1.北回り杉の段から二の丸へ

2.鉄門から詰門、二の丸へ

3.南回り太鼓丸から梅の段、二の丸へ

4.二の丸から本丸へ

5.本丸・天守閣へ


入口は追手門以外にもあり、日常的に散歩などに利用されています。

6.搦手門から綿倉門跡へ

7.桜山口から梅の段へ

8.辷山周辺から綿倉門跡へ

今ある以外に高知城のお堀はどこにあった?

9.高知城の堀


お城から町を見ました

10.高知城から見る

城下町である高知では昔はどこからでもお城が見えたのですが・・・

11.周囲から高知城を見る


高知城イベント 高知城花回廊2009 土佐ゆめ灯り2010 高知城花回廊2012 なごみの灯り2012


(「日々の高知城」2010.12.28-「高知公園」2014.11.7-)