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野根山街道


2012年6月7日(木)

 先日、奈半利に行ったとき、野根山街道の入口に立ちました。そのとき、この山を越えた向こうはどんなところだろう、二十三士が半平太の助命嘆願書を岩佐の番所に届け、脱藩しようとして捕縛、処刑されましたが、彼らが船に乗ろうとした甲浦はどんなところだろう、と東洋町に行ってみたくなりました。
 今日は、高知市を出発し、途中野中兼山が造った堀込み港の代表的な手結港に立ち寄った後、野根八幡宮江藤新平遭厄の地碑谷時中出生地碑などを周り、帰り道に国道493号線を選びました。


 国道55号線から国道493号に入りました。左は野根川、この国道493号線は野根山街道と
一部重なっています。ここは桜並木が続いていますが、春はきれいなことでしょう。


川辺から山にさしかかり、旧街道は急坂を登りますが、国道は大きくカーブを描いて
傾斜を緩くしています。そこにあるのがこの案内板。
左手ヶ坂というのは坂が急なので殿様の駕籠を担ぐ人が横並びになりカニ歩き状態
にならないと進めない。後の担ぎ手は左手で担ぐということから左手ヶ坂と呼ばれたそうです。


急な坂を一気に登って右手に進む旧街道を横切って国道ができています。


国道は間もなく北川村に入ります。


 先ほどの一本杉から登ってきた街道にここで出会います。


そして街道は国道を横切りまた森の中に消えていきます。


国道は林の中を二又を経由して北川温泉に向かって下りて行きます。


国道から旧街道の岩佐の関所に出る道路もあるようです。


しかし、舗装無しのこんな道です。次はここに入って岩佐の番所の近くまでいきたいです。


11tを超える車両やホイールベース4.5mを超える大型車両は通行止めの規制です。


川を覗くときれいな水が流れていました。


二又にある二股橋は鉄筋を使わない最大級のコンクリート製アーチ橋だそうです。
戦争のため鉄が貴重だった昭和15年にできています。
経済産業省の近代化建築物群に認定されているそうです。


二又から少し下り平鍋ダム近くにある吊り橋が、数年前の台風
で大きく破壊されていました。
平鍋ダムの湖岸も谷の上部から大崩壊があり、通行止めでは
なかったものの、まだ盛んに工事をしていました。

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