土佐の歴史散歩東洋町>野根八幡宮

野根八幡宮


2012年6月7日(木)

 先日、奈半利に行ったとき、野根山街道の入口に立ちました。そのとき、この山を越えた向こうはどんなところだろう、二十三士が半平太の助命嘆願書を岩佐の番所に届け、脱藩しようとして捕縛、処刑されましたが、彼らが船に乗ろうとした甲浦はどんなところだろう、と東洋町に行ってみたくなりました。
 室戸から北上し東洋町に入ると間もなく、野根川の河口や国道493号との分岐点を通り過ぎると、左側に野根集落の端に野根八幡宮があり、立ち寄りました。


参道の左右には江戸時代初期からの奉納物があり、相当な歴史のありそうな神社です。


狛犬さん「阿」。


狛犬さん「吽」。


どこから運んできたのでしょうか、手水用に奉納されたものでしょう。
海の波の浸食でしょうか、小さな甌穴がたくさんあります。


拝殿のようですが前の広場は相当な広さです。そして手前の左右に伸びた道もやたらに幅が広いです。
家に帰ってからネットで調べてからその意味がわかりましたが、もう一度よく見ようと思っても、時、既に遅し。


立派な弊殿と本殿がありました。

建物の周囲には由来など何の説明板もありませんが、やはり通りすがりの私のような者にも
わかる説明板が現地に建てられることを希望します。
ネットに情報を掲載することは経費が要らないですが、積極的に見なければ価値がありません。
本物の建造物の側で説明板を読むのとはまったく違います。


今は寂れているけど、玉垣などの寄進者も数多く、もとは野根地域は相当に栄えていたのだと思われます。


弊殿の屋根は破れてトタン屋根になっていますが、本殿は立派な造りです。
なぜこのような立派なものが廃れてしまうのか残念です。
早く保存、修復しないと歴史ある建物が失われてしまいそうですが、
修復のため一般に寄付を募っている様子もありません。

住民の信仰心が薄れたり人口が減ったとはいえ、これからは地域の観光資源として氏子だけに
任せるのではなく、行政が税金を使っても保存活動やPRをするべきではないでしょうか。

家に帰って来てからネットで調べました。野根八幡宮については東洋町のHPが参考になりました。
・野根八幡宮は九州宇佐八幡宮の分社で祭神は応神天皇である。
・鎌倉時代、野根宗惟氏の創建と伝えられている。
・社格は旧郷社で野根全体の氏神である。
・明治6年に火災があり、本殿拝殿古記録全てが焼失、翌年すぐに再建。それまでの棟札記録は保存されている。
・大祭行事は、10月第1日曜日に御輿渡し、流鏑馬、祝宴など縮小された形であるが現在も行われている。

不況のさなか人口も減り地域の人々はたいへんだと思うけど、ぜひこの建物や行事を保存して観光に生かしてほしい。

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