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谷時中先生出生の地


2012年6月7日(木)

 先日、奈半利に行ったとき、野根山街道の入口に立ちました。そのとき、この山を越えた向こうはどんなところだろう、二十三士が半平太の助命嘆願書を岩佐の番所に届け、脱藩しようとして捕縛、処刑されましたが、彼らが船に乗ろうとした甲浦はどんなところだろう、と東洋町に行ってみたくなりました。


甲浦の入口に白浜海水浴場があります。
遠浅で遊びやすい?海水浴場のようです。


風光明媚な入り江ですが、過去にフェリーが座礁事故を起こし、それ以来、阪神航路が絶えて
しまったそうです。それで阪神方面からの観光客などが減少し、現在町は財政に困っていると聞きました。

二十三士はこの甲浦から船出をする手はずでしたが、あいにく出航できず阿波に入ったために
阿波藩が捕縛、土佐藩に引き渡しされてしまい、奈半利河原で打ち首にされたのでした。


甲浦港です。港口を渡っている国道55号線の高い橋が見えます。
この湾岸通りからわずかに入り込んだところに真乗寺はありました。


最近新築されたばかりのようです。代々谷家が住職でした。


庭の隅に細長い碑が建っています。


「南学中興の祖谷時中先生出生之地」と彫られています。
慶長3(1598)年、又は同4年生まれ。
土佐市の国道沿いに建てられている南学発祥の地碑もあるように、土佐には戦国時代から
京都の南村梅軒により朱子学が取り入れられ土佐流にまとめられていました。
谷時中はここ甲浦で生まれ、高知市瀬戸に移りました。雪蹊寺の天質から儒学を学び
比叡山で仏教の修行をしたりしましたが、やがて僧籍を離れ、儒学に専念しました。
江戸時代初期の大きな力となった野中兼山や小倉三省、山崎闇斎などが門下となりました。
谷時中の墓は清川神社として高知市瀬戸にあります。

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