2006年5月15日 須崎まで取材の帰りに立ち寄りました。
戦国時代、このあたりは吉良氏の勢力下にありました。
吉良氏のもとに南村梅軒という僧が仕えるようになり儒学や禅について講義したと伝えられています。
梅軒はもとは大内氏に仕えて学問を身につけましたが、国内の争乱により土佐の一条氏を頼って移ってきたといわれています。
大きな4車線道路となった春野町弘岡の国道脇です。
COCOSの東方数百mのところです。
丸い消火栓の看板と仲良く並んでいますから、わかりやすいですね。
「南学発祥の地」とだけ彫られた自然石の碑です。
吉良氏が長宗我部氏に討たれると土佐を去ったそうですが、それまでの約10年間に、
吉良宣経、宣義、宗安寺の如渕、吸江寺の忍性、雪蹊寺の天質などに伝えられ、
更に天質に学んだ谷時中が土佐南学の基礎を固めたといわれています。