2003年3月21日 市内の史跡を巡りました。

横浜の街道から旧道に分かれるとすぐ近く。 ここから石段を登り詰めると谷時中の墓です。

来てみると墓石は見えず、顕彰碑と祠があるだけ。祠の中にお墓があるのか。

ぎっしりと小さな文字で埋め尽くされた顕彰碑です。

顕彰碑。
| 慶長4年(1599)あるいは3年安芸郡甲浦に生まれ、父は浄土真宗の僧で後に瀬戸村真乗寺に移住。 雪蹊寺の天質上人から儒学を学び、野中兼山、山ア闇齋らに教え、藩政を支える学問にまで発展させた。 自身は官途につかず瀬戸村の低地を干拓し耕地を開いた。晩年田地や山林を播磨屋宗徳に売却し、息子の京都遊学の費用に当てた。 慶安2年12月死去。後年村人はその功績を讃えるため墓に祠を建て清川神社と称した。 |
(現地に建てられている高知市教育委員会の説明板より)
谷時中の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
谷時中の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。