土佐の歴史散歩高知市東部>五台山公園

土佐の歴史散歩銅像を巡る>濱口雄幸・牧野富太郎

五台山公園(濱口銅像 竹林寺 牧野植物園ほか)

 この五台山は約1,200年前に行基が竹林寺を建立するまでは大島と呼ばれ、まわりを海に囲まれた無人島であった。
 公園としては明治の末時の高知県知事杉山四五郎氏が五台山公園として発足させたが、本格的に整備が始まったのは戦後で昭和30年頃に着手された。その後高知県をはじめ五台山を愛する様々な人々の努力によって今日に至ったのである。 (展望台の下にある碑板による)


 
西の頂上の展望公園入口にあるモニュメントです。右は、太平洋戦争中に高知出身の兵士によって作られ、昭和34年にペギー葉山が歌って大ヒットした「南国土佐を後にして」の記念碑です。

 
 1999年9月25日
 180度以上のパノラマが望める素晴らしいながめの五台山展望台。 夜景もたいへん美しいそうです。


2003年3月27日
 展望台から東を見ると公園の頂上に銅像が立っている
のが見え、その向こうに竹林寺の塔が見えました。

(2003.3.27)
 ライオン宰相濱口雄幸の像です。五台山の南方に唐谷という地域があり、そこの
水口家で明治3年に生まれました。田野町の濱口家の養子となり学問に励み、
東京帝大に進む。45才で衆議院議員、昭和4年には内閣総理大臣となるが軍縮
を推し進めたため軍部の恨みを買い昭和5年東京駅で狙撃されました。


 竹林寺仁王門
 公園からすぐに竹林寺の裏門がありますが、そこで入らずにそのまま竹林寺方面への道路を進むと
この正門に出ます。私はここからの眺めがいいので大好きです。写真ではカットしてありますが、
手前の道路際にある標識などがとても目障りで邪魔で腹が立っています。
(後に竹林寺は項目を独立させました。)


 仁王門から右に進むとこの本堂、社務所、宝物殿など
があります。本堂の庭は国指定の名勝であり高知県三庭園
のひとつです。
 


 仁王門からまっすぐ進むと桜並木を通り、石段を登ります。
上り詰めると左手に大師堂、前方には五重塔、
右には文殊堂があります。
 竹林寺は聖武天皇の命で行基が中国の五台山と似た地
を探し文殊菩薩を本尊とする寺を建てたのだそうです。


1999年11月19日
 牧野富太郎を顕彰し、その生涯を展示する「牧野記念館」です。
 竹林寺の隣地には牧野植物園があり、その頂上部に記念館が
1999年に完成しました。木をふんだんに使用した建築でも評価
が高いようです。
 上下二つの建物から成り、その間をツワブキの咲く長い廊下で
結んでいます。上の建物ではレストランや牧野博士の蔵書図書
館や研究室があり、下の建物ではとても充実した牧野博士の生
涯の常設展示と、次々と変わる楽しみな企画展示があります。
2010年4月18日にも訪れました。


2002年9月19日
 以前からある植物園の中心広場にある牧野富太郎の像です。
 園内では季節に応じた鑑賞会が催されますので、植物や
ガーデニングの好きな人がたくさん訪れているようです。


2007年3月16日(金) 今日は竹林寺の墓所を巡りました。
歴史的な有名人としてはこの伊達兵部宗勝でしょうか。
伊達と言えば仙台ではないでしょうか、それがなぜ?
説明板によると、、「独眼竜政宗で著名な仙台藩主伊達政宗
の実子。歌舞伎の「先代萩」や山本周五郎著「樅の木は残っ
た」に重要人物として登場する伊達兵部宗勝の墓である。
彼は一関3万石の城主で三代藩主綱宗の実子亀千代の後
見人となり藩政を補佐していたが、側近の原田甲斐が刃傷
事件をおこしたので,その責任を負って寛文11年(1671)に
山内家預けとなり、延宝7年(1679)11月4日58歳で病死した。」


兼山神社近くにはその子の墓だといわれる墓があります。


歩いていると立派な墓があり山内の御家来でしょうか、
毛利弥三右衛門政重墓(元禄十六年没)と書かれています。
高知にも毛利さんが江戸時代から居たのですね。


穂岐山家の墓所です。
江戸時代は刀匠でしたし、今でも土佐打ち刃物で有名です。


佐川深尾家の墓所があちこちにあります。
そのうちのひとつにこの山内主馬藤原規重の墓がありました。
左は妻の墓です。


お遍路さんの無事を祈ってか、ミニ草履がアセビの木にぶらさげてありました。


展望台下の遍路道です。
いつの時代の石畳でしょうか。


竹林寺の西裏門付近です。コケがいい感じでした。


「貞享元年銘法華経塔」
高知県史跡という石柱とともに説明板があり、
「貞享元年(1684)、柏島法蓮寺の僧日教が建立。宿毛市、東洋町
甲浦にも同形同大の経塔が現存する。方柱状の身部に傘を置き、
上に宝珠を載せるもので、題目式傘塔婆と呼ばれる。総高2.98m、
石質は砂岩身部正面に題目一尊を刻し、四面に経塔建立の願文、
法華経の功徳、塔下に法華経を経函に入れ埋納していることを刻す。
日蓮四百遠忌を意識して建立したものであろう。
平成2年3月 高知市教育委員会」

このあと、今日の目的のひとつだった江戸・明治時代の写真家として有名な井上俊三の墓を探したが見つからず。
遅くなったので、またの機会に譲りました。
(後日、情報が入り逢坂峠近くの霊園に移転したことがわかりました。)


薄暗くなり、早い山桜の花を見ながら帰途につきました。

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