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29番札所 国分寺(こくぶんじ)


2002年5月12日 国分寺を訪れました。


土佐ならではのフラフが立ち並ぶ西島園芸団地から北方2kmぐらいに国分寺があります。

<四国霊場八十八カ所第29番札所国分寺>

 史跡 土佐国分寺
                   大正11年10月12日国指定史跡

 土佐国分寺跡は、天平13年(741)聖武天皇の勅願を契機として諸国に造立された国分僧寺のひとつである。
伽藍配置を示す具体的な遺構は現存しないが寺域を示す土塁が違存し、古瓦等の散布や塔心礎が残ることなどから、大正11年に寺域一体が史跡に指定された。
創建期の内容等については詳細は判明してはいないが、現書院の内庭園に置かれた塔心礎や伝世品の梵鐘(平安時代前期作重文)など盛期の寺院活動を示す物証が残されている。
 最近の発掘調査により、創建期の遺構とみられる3間×6間の礎石建物跡、僧坊と考えられる掘立柱建物群、南限を画する築地、溝跡などが検出され、寺院の様相が次第に明らかにされつつある。
                      南国市教育委員会


土佐国分寺の仁王門です。
明暦元(1655)年山内忠義公の寄贈といわれています。


外の駐車場に立っていた境内案内図です。


最近は歩きのお遍路さん、しかも女性が増えたとか。


汗をかいて歩いてきたらこの木陰でほっとすることでしょう。


鐘撞き堂の脇を帰るお遍路さんに出会いました。


鐘は朝晩6時に突くことになっていて一般の人は禁止です。

  国 分 寺

 天平13年聖武天皇のとき僧行基の創建と伝えられ、弘法大師の中興で四国29番札所となる。
鎌倉時代初期より戦国時代にかけ幾度か火災にあい現在の建物は永禄元年長宗我部元親が再建したもの。
山内時代にも寺領を与えられ建物の造営は藩の手になった。天正地検帳には方六町とあり古は七重塔があったと伝えられ法灯の盛んなることは国内随一であった。
 金堂と仏像2体並びに梵鐘は国の重要文化財。また、創建当時の土壇に依り寺域は国の史跡に指定されている。

境内には創建時の跡があり、国の重要文化財です。
兵火にかかり一度焼失したのを永禄元年(1558)長宗我部国親・元親
親子が再建し、また、承応二年(1653)山内忠義が再興したそうです。
梵鐘はおそらく創建時のものということで重要文化財です。


本堂にお参りするお遍路さんたち。
現在の本堂は永禄元年長宗我部元親が再建したもの。
仁王門からの参道は短いけれど杉並木が茂り、少しだけ荘厳な感じが出ています。
手を洗い鐘突き堂の側を通り中にはいると、よく手入れされた明るい庭園が広がっていて、
歩き疲れたお遍路さんの心が癒されるだろうと思います。
納経書はこの右手にあり新しい光明殿という建物もあり、手入れされた庭がそこにもあります。
大師堂は本堂のすぐ左側です。


大師堂です。

 大師堂

創建 寛永11年
文化2年3月 藩主山内豊策公再建
桁行3間 梁間3間
本尊 弘法大師


本堂の右手には門があり、「真言宗智山派国分寺」の表札がかかっています。
ここには庭園や納経所ほかがあります。


納経所です。


「光明殿」です。


庭園横の書院です。


派手な赤いリュックと頭には傘をかぶり次の30番をめざすお遍路さん。

詳細は土佐国分寺(Wikipedia)

国分寺は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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