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34番札所 種間寺(たねまじ)


2005年7月16日(土)
 今日は少し時間ができたので、春野町にある四国霊場八十八カ所第34番種間寺を訪れました。
 なお、これをアップしてから、水軍丸船長さんから掲示板に種間寺のデータを書き込んでいただきましたので、そのままの文で末尾に追加させていただきました。


春野町の役場のある西分を南へ進み、新川川を超えると間もなくです。


境内に入ると鐘楼の下で高知名物のアイスクリン(シャーベット)を売っていました。
ここを右に進むと駐車場があります。
ここを左に進むと太子堂や納経所などがあります。


左に向かうと真っ白な塀が続きます。
門柱や塀は新しい物で歴史を感じませんね。


種間寺本坊です。玄関の左手に納経所の窓口がありました。
この建物も新しい様子です。


手水鉢には歴史がありそうと思って見ましたが、大正2年でした。


鐘撞き堂かと思いきや子育て観音だそうです。
そういえば、この観音さまは左手に赤ちゃんを抱えています。
観音様を取り囲むようにぶらさがっているのは柄杓です。
あたりには水子地蔵が沢山並んでいました。


ここが本堂のようです。
左手には「四国霊場第三十四番 本尾山種間寺」という看板がかかっています。
右手には「国宝本尊 薬師如来奉安殿」とその奥には「安産御祈願所」という看板が。


太子堂が結構立派ですね。
ここはさすがに少し歴史を感じさせる雰囲気があります。


白い塀に沿って水子地蔵が並んでいましたが、その端に「蓮見台」という標識がありましたので上がってみました。
田圃の隣にハス田があり、今はたくさん花が咲いていました。
左側の田圃もハス田だといいのに。


歴代の和尚さんを祀っているようですが、真新しい墓石です。
近頃、このお寺さんは繁盛しているようですね。


左が子育て観音、向こうが本堂。右手に太子堂、右手前に本坊がありました。


最後に入り口のアイスクリン屋さんで抹茶アイスを買って、わずかに歴史を感じる鐘楼を見上げたところです。
歴史を感じさせる物を求めて行ったのですが、このお寺は残念ながらほとんど何もありませんでした。

ちょっくらお邪魔します  投稿者: 水軍丸船長  投稿日: 7月18日(月)11時17分30秒
店主さま、お忙しいことで何よりです!今日は海の日・水軍丸の船長の記念日です!
要するにカミングデェイと言うことで、34番本尾山種間寺(もとおざんたねま)の記事が目に付き、ちょっくら顔を出しとうなったきに、ええかのう?
春野の里も夏の趣きと目に浮かべながら、この寺に奉納されちゅう、柄杓の謎なぞ?について、如何してじゃろと考えた?。其処でにわかに、興味が沸いたきに、先ず本尊を調べたが゙よ!
国宝安産の薬師如来と書かれちょらよ!まっこと安産祈祷所の柱や梁に底が抜けた柄杓がどっさり打ちつけられちゅう事が不思議じゃのうし。寺の古事・由縁を尋ねてみたら、安産を願う妊婦の女御子が、新しい柄杓を持って御寺に参り、寺の住職さんが底を抜いて仏さん(正確に言うと如来さんよ)に御祈祷してくれる相や!其れを家に持ち帰り、床の間にお札と底抜けの柄杓を祭って安産を願ったがやと!子供が無事生まれたら又其の柄杓を寺へ奉納するがじゃと!。其の由縁が実に面白い?なんじゃとおもうかよ!。種間の種は子宝の種の種の意・間は言えん!底の無いのは『通りを良くする為』じゃと!話しも聞いて見るもんじゃねや。先人もユウモアーが有ったぞねや。
男のおらには、解らんけど本当は『子供を産み、育て上げるまで、底の無い柄杓で水を汲み上げる程苦労がかかるものだよ』と言う意味だそうですね!此れで解ったろう。
又、創建は敏達天皇の六年(577年)百済から派遣された仏師や寺匠等が四天王寺の造営を終えて帰路の途中で土佐沖で嵐に遭い、流されてこの陸地に上陸し、仏師らが海上安全祈願のために薬師如来の像を刻み、本尾山頂にお祭りしたがやと書いちょらよ!その後弘法大師さんがこの地を訪れて、種間寺を開基して、唐の国から持ち帰った五穀の種を蒔かれた所以で種間寺と呼ぶ様になったと聞く。簡単に言えば、出産も五穀も種が、明日のエネルギーの原点じゃと!子沢山は此れからの日本のテーマよ!。土佐の国の皆さんも頑張ってよ!・・・・・わしゃ子が無いきに偉そうなことは言える立場じゃ無いけんど。残念!・・・・・ほんなら又出てくるきに。

詳細は種間寺(Wikipedia)

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