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片岡半斎の墓


2013年4月13日(土)

片岡半斎は尾張の人ですが、諸国を巡り最後に寛永五年に野中直継(兼山の養父)に仕え、娘奈安は野中家臣の古槇八左衛門に嫁ぎました。
京都で僧になった山崎闇斎は、土佐吸江寺の湘南和尚の弟子になりました。谷時中から朱子学を学び、野中兼山小倉三省などと交わり、儒者となった人です。


浦戸大橋の下、わずか東寄りです。


山際に小さな祠があります。周囲の石積みはここに元はお堂があったのではと思わせます。


そのまま竹藪の方に進むと壊れた石灯籠の残骸と共に、石碑が見えます。
石垣が大木に押し出され、石碑に近付いているように見えます。


近付いて見るとやはり石垣は石碑に接して押しています。
ざっと数えても千文字を越える文字が、四面にぎっしりと刻まれています。
しかし、左側面はやっと脇からのぞき込むことができるだけです。


半斎翁墓表銘」と刻まれています。


洛陽闇斎山崎柯敬義撰」及び
従五位下行式部少丞兼大主鈴中原康久書」となっています。
山本泰三氏によると、「土佐に残っている闇斎撰の墓碑は本山帰全山公園
秋田夫人(野中兼山実母)墓碑とこの半斎墓碑の二つだけ
と言われる」とのことです。

その貴重な墓碑が今にも石垣に飲み込まれそうな状態でいいのでしょうか。
桂浜観光は桂浜とはまったく関係のない坂本龍馬に頼るだけではだめでしょう。
高知市にはまっとうな観光や歴史遺物保存に取り組んで欲しいものです。

片岡半斎は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

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