2013年1月16日
中秦泉寺の秦山の北側に近いところに団地の道路に平行して小径が現れます。
小径に入るとすぐ右の竹薮に墓地が見えますのでここで竹藪に入ります。
10m程で竹藪の中にぽつんと1つだけ離れて立っている墓があります。
彫りが浅くやっと読むことができました。
野中兼山の家臣、古槇八左衛門重利の墓です。
野中兼山が土佐山田中野で逝去したあと、亡骸を高知城東側の兼山邸に運び込もうとしましたが
追手門を通してもらえず、しかたなく八左衛門の家で葬儀をして筆山に葬りました。
八左衛門の長男次郎八重固は兼山の忠実な小姓でした。筆山に葬られた兼山の横で殉死し
兼山墓地の脇に葬られています。
ここに八左衛門独りが葬られているということは、大罪をかぶせられた野中兼山の家臣で
あったことから、何か迫害のような仕打ちを受けたのでしょうか。
それとも、周囲には谷家その他立派な墓所があるので、ここに葬られたことは一族の中でも
栄誉であるという意味があるのでしょうか。それにしても周囲には墓地の境目もなく、
今では独り竹藪の中に放り出されている印象です。
古槇家先祖代々の墓所は土佐山田にあります。