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25番札所 津照寺(しんしょうじ)とその周辺


2007年1月8日(月)

県内の八十八カ所のうち、まだ訪れてない寺が東部には2つありました。
今日は銀塩のEOS-Kissを提げて、東部残りの2カ所のお寺を訪れました。


国道からは岬方面への分岐のすぐ手前から浮津の街に入り、川を渡り室津港にたどりつきました。
港に出るとすぐ道幅がぐっと拡がりますが、そこにスーパーがあります。


スーパーの左に路地があり、入り口に大きい看板があります。駐車場は100mほど手前でした。
現在は津照寺ですが、古くは津寺と呼ばれていたようです。


駐車場に車を置き、歩いて戻り港に出ました。小型の漁船が
たくさん停泊しています。この外側にもう一段大きい港があります。


路地に入ります。山門の向こうに長い石段が見えます。


山門をくぐるとすぐ右手に、大師堂と納経所、宿坊があります。


新しい宿坊に追いやられた感じの小さい庭が大師堂の
向かいにあります。ソテツが南国情緒を醸し出しています。
長距離を運転してきたので、ここでトイレをお借りしました。


大師堂の正面です。


本堂はこの石段を登った上にあります。


石段の途中にある、ちょっと異国風な建物は、いったい何?・・・


と、思いながらくぐると建物に上がる階段が見つかりました。
上がってみると鐘が吊り下げられていて、鐘楼になっていました。


さらに石段を上がり、右に曲がると本堂が見えてきました。


四国八十八カ所第二十五番札所の宝珠山真言院津照寺の本堂です。

「大同二年(807)空海が海の安全と大量を祈願して開創したと言う古刹で、
石段を登り詰めたところに本堂、内外陣には八十八カ所「お砂踏み」周囲には
万体地蔵仏が祀られている。本尊楫取地蔵菩薩については「今昔物語」第十
七巻第六に津寺の火災の霊験談が書かれており、南路誌には慶長七年難破
しかかった藩主山内一豊公の船を救ったという話もある。今も海難除けの
楫取り地蔵として厚い信仰を集めている。   室戸市教育委員会」


目の前に土佐湾〜太平洋を望みながら石段を下ります。


山門の隣には鳥居があり、何やら神社があります。
大きな石碑もあり、「一木権兵衛君遺烈碑」田中光顕書と
なっています。裏にもたくさん文字がならんでいますが、
上半分は判読不能でした。わかる範囲でこの時想像できたのは
この室津港を造る工事にたずさわった功績を顕彰している
碑だなあということでした。


石段が奥にあり、上には社殿があるようでしたので、行ってみました。
扁額には「一木神社」となっています。
個人のためにこれだけの社を建てるということは、かなりの貢献が
あったのだなと思い、帰ってきてから調べました。
すると、「青空文庫」の中に「海神に祈る」という、大変わかりやすい
読み物がありましたので紹介しておきます。
一木権兵衛は高知市布師田の人なので、お墓は布師田にあります。


ページ先頭のスーパー横の入り口脇に、こんなお寺もありました。
このお寺「願船寺」も室津港の築港に関係しています。


港の一番奥には紀貫之が京都への帰路、室津古港で停泊した時に使ったという井戸の遺跡がありました。


港の一番奥に行って、津照寺を背景に漁船溜まりを写しました。


室戸といえば新鮮な魚です。「浦戸屋」さんで活きの良い魚を買い込みました。


駐車場で見送ってくれた猫です。
人慣れしていて、近づくといきなり足元にすり寄ってきました。
次は金剛頂寺です。

詳細は津照寺(Wikipedia) 津照寺

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