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津野神社(津野親忠墓)

 親忠は長宗我部元親の三男で高岡郡の津野氏に養子に入っていました。長男の信親が戸次川の合戦で戦死した後、二男が結核で急逝し、四男を推す久武親直らと三男を推す吉良親実、比江山掃部介親興らとの家督相続問題が起きました。順からいえば三男が跡を継ぐべきでしたが元親は久武の言いぶんを聞き四男の盛親を跡取りと決め、三男を推した親興らは自刃させられました。
 慶長3年8月に秀吉が没した後を追うように翌年には元親が病死しました。慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、西軍についていた盛親は、家康に恭順を示すため上阪するのですが、その前に留守中の謀反を恐れた盛親は兄である親忠も幽閉先の霊厳寺に兵を送り殺害しました。
 この兄殺しともいえる事件に家康は怒り、長宗我部家を取り潰す口実になってしまいました。


2004年12月19日

 県道前浜−植野線<31>の植−前浜間はたびたび利用するので、通る度にこの史跡はどこにあるのだろうと見ていたのですが、今までわかりませんでした。それもそのはず、県道からの入り口にはまったく標識類がありませんでした。
 今日はこのあたりかなとあたりをつけて横道に入り込んだのですが、最初は空振り、県道に戻り2度目に入り込んだところには結構立派な神社があり、ここだとほっとしたのもつかの間、神社の中に入っても津野とか親忠という文字はまったくありません。でも、地図ではこのあたりです。近くの民家でお尋ねしてやっとわかりました。


もっと奥の、のどかに畑、田圃が広がる中に目的地はありました。


こんもりとした、でも森と呼ぶにはとても小さい森が津野神社でした。


アスファルトの道を行き着くと「史蹟津野親忠墓」と書かれた
石柱が迎えてくれました。
この石柱の裏には昭和4年6月に建設したと書かれていまし
た。また、その後ろには土佐山田町教育委員会が説明板を
建てています。

    津野親忠の墓(津野神社)
                  県指定史跡

 親忠は長宗我部元親の三男で、高岡郡の半山城主
津野勝興の養子となり名君といわれた。元親の長男
信親が豊後(大分県)戸次川(へつぎがわ)の戦いで
戦死したので家督相続の問題がおこったが、土佐の
国主が四男の盛親に決定してからも元親の疑いを受
岩村の霊巌寺(のちに孝山寺と改める)に幽閉された。
 慶長五年(1600)九月、国主の座を代えられることを
恐れた盛親によって切腹させられた。親忠は二十九歳
であった。
 遺骸は神社本殿の下に永遠の眠りを続けている。

       昭和六十二年三月
          高知縣・土佐山田町教育委員会


東側に回ると鳥居があり、その奥に社殿があります。
この社殿の地下に親忠の遺骸が眠っていると説明されています。


横から見ると社殿は古く、かなり傷んでいるように見えました。


社殿の横には比較的新しい感じの「津野親忠以下殉死者と
孝山寺住職一同の霊」と書かれた碑がありました。
この左手、社殿の横には高知県教育委員会が昭和46年2月
に建てた「高知県史跡津野親忠墓」の石碑がありました。
しかし、ここまで見たところ、期待した長宗我部家の他の
メンバーの墓のような五輪塔が見られません。
高知県教育委員会の石碑の脇に古くて小さい説明板があり、
よく見ると土佐山田町教育委員会の新しい説明板にはない
記述がありました。
それによると墓のあった上に社殿を建て、そこにあった
五輪塔は北の孝山寺に移したようです。

  津野親忠墓

長宗我部元親の三男。高岡郡半山城主津野勝興の養子。
戸次川合戦に兄信親戦死し相続問題起こる。四男盛親を
支持する久武親直の陰謀に陥り、親忠を推す吉良親実、
比江山親興等は切腹。
関ヶ原合戦に西軍敗れ、盛親は家康の命を待つ。
久武は東軍の将井伊、藤堂等と親しい親忠に切腹を迫る。
親忠死し現在地に葬す。後、五輪塔は北に移す。


振り返り、北の方を見ると祠ともお堂ともつかぬものがすぐ
近くにありました。ここが親忠が幽閉されていた霊厳寺改め
孝山寺の跡なのでしょうか。
このお堂の後ろ側の土地には草に覆われて古いお墓が
いくつかありました。


いくつかの卵塔はここの代々の住職さんたちでしょう。


背の高い板碑もあります。


大小の五輪塔もありました。この大きい五輪塔がもしかしたら
親忠かもしれません。
しかし、このススキはどうにかならないものでしょうか。いかにも
荒れ果てた寺跡という感じです。
本当はもっと広い敷地があったのでしょうね。五輪塔がだれの
ものか今では分からないかもしれないけれど参考品としては
重要だと思われます。このままだと邪魔者扱いにされ、更に
墓石も何もかも無くなってしまいそうです。


県道からの入り口はここです。左右に走っている道路が
県道31号です。ビューティーサロン「わだ」前がT字路になっ
ていて、東にまっすぐ200mほど入れば上のお堂があります。


2007年3月21日 歴民館の資料の中にある親忠の墓の写真は、やはり孝山寺跡の五輪塔でした。もう一度お墓を撮影するために再び訪れました。


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