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大川上美良布(びらふ)神社


2013年1月16日 延喜式内社 南海道土佐二十一坐のひとつです。


森が美しく保たれています。


国道195の南側にあるアンパンマンミュージアムの山から流れ出す小川で、600mほど下ると物部川です。


小川には神橋が架かり、参道が延びています。


脇の広場には何か塔がありました。


昔ここにあった韮生高等小学校跡地を示すものでした。
陸軍中将山下奉文の書です。
昔から韮生の里と呼ばれますが、ニラが良く育つ場所というような意味です。


参道から見た美良布神社です。
美良布(びらふ)というのは韮生(にろう)の変化したものらしいです。


「大川上美良布神社」の扁額です。
棟札によると昔は川上大明神とか大川上宮とか呼ばれていて韮生50カ村の総鎮守だったそうです。
主祭神は太田々称古命で、他に7神を合祀しています。


鳥居の両側には珍しい形の台座に載った背の高い灯籠がありました。


その下には狛犬さんが座っていました。


正一位大川上美良布神社の拝殿正面です。形の良い優雅な屋根です。
正一位というのは、嘉永5年(1852)、勅宜により神階が最高位の正一位となったのだそうです。
約1500年前の雄略天皇時代に造られ、営々と建て替えられながら続いてきたと伝えられています。
秋祭り(毎年11月3日)は特に盛大で、一宮の志那祢さまに次ぐにぎわいだそうです。


現在の社殿は明治2年に落成したもので、社務所から続く渡り廊下も備えています。
宮大工は時の名匠といわれた島村安孝、坂出定之助、原卯平、別役杢三郎です。
島村安孝は高知市の潮江天満宮の門の大きい鳳凰の彫刻も制作しています。


今から約1000年前に無病息災、五穀豊穣を祈願して植えられたといわれるご神木です。


通夜殿です。元禄の頃から狂言が行われてきました。回り舞台を備えています。


神蔵です。御輿や、社宝としては弥生時代の銅鐸があるそうです。


拝殿の軒です。彫刻が目を惹きます。


拝殿の軒の梁に素晴らしい獅子の彫刻が施されています。


何故か亀さんですが波の表現が独特です。


獅子には目がはめ込まれて、生き生きとしています。


拝殿横の軒下には鳳凰が飛んでいます。


拝殿の彫刻に感心し、拝殿から弊殿と廻り目を移すと、四方に破風のある立派な本殿がありました。
三殿とも総檜造りで、宮大工の名匠島村安孝を頭領とし、他の三人の大工が腕を競い合ったそうです。


近付いて見ると立派な屋根の軒下には目を見張るような彫刻がたくさん見えます。


高欄の角の擬宝珠に龍が巻き付いたような彫刻です。
アクリルカバーが邪魔ですが、精緻な木彫を風雨から守るためにしかたがありませんね。


向拝にある紅梁には三つ葉柏の紋が付き、その梁の上には3つに分かれた木彫が乗っています。
説明板がありましたので、これらの意味がよくわかりました。


左側の彫刻は三韓の使者が貢ぎ物を差し出しているところだそうです。別役杢三郎作。


中央の彫刻は、島村安孝作の応神天皇と原卯平作の武内宿禰だそうです。
武内宿禰は大和朝廷初期に応神天皇を含む5代の天皇に仕えたとされる伝説的な人物です。


右側の彫刻は坂出定之助作の神功皇后の姿だそうです。


それだけではありません。高欄の下の腰欄間にも素晴らしい彫刻がありました。
本殿の南面に3枚、東面に4枚、北面に3枚、すべて原卯平の作です。
南面は浦島太郎が亀に乗って竜宮に行くところです。


左側の1枚ですが、なんだか楽しくなります。


東面は本殿の後側になりますが、虎と竹や虎の波乗りが彫られています。


左から2枚目の虎の波乗りです。


北面の彫刻は、宗の司馬温公が幼い頃、水甕に落ちた友を救うため甕を打ち破って溺れる友を救う様子だそうです。


甕が割れて友が水と一緒に流れ出している様子です。


北面の脇障子は烏帽子に直垂姿の平経盛が鹿を射止めた様子だそうです。


南面の脇障子は、源三位頼政が鵺(ぬえ)を射止めて帰る光景です。
頼政は天皇より賜った侍女あやめを伴い、侍者^早太が鵺を背負っているところだそうです。
2つの脇障子の彫刻は嶋安孝の作で、力強い素晴らしいものです。


説明板に、本殿の彫刻は「土佐随一」とありましたが、その言葉に相応しいものだと思いました。
盛大な秋祭りも見たらいいですが、静かなときに一人、二人でじっくりと彫刻を鑑賞するのもいいですね。
おなばれが継承され、老いも若きも参加し、奉仕するとパンフレットに記載されていますが、素晴らしい韮生の里です。

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