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獄洋社跡、河野敏鎌誕生地、婦人参政権発祥の地

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2004年12月5日(日) 
 いつも通っている歯医者さんの少し西向かいにこんな碑があったなんて、今日まで知りませんでした。
 場所は上町1丁目電停を北に入ったところにある高知市立第四小学校の塀際です。
 第四小学校の東門あたりには、以前には刀鍛冶で有名な左行秀の碑もあったと聞きますが、どこに行ったのか見たことがありません。


今までは田岡歯科さんでの治療が終わると振り返りもせず、この通りを反対方向に自転車で走り抜けていました。


「獄洋社址」碑と「子爵河野敏鎌君誕生之地」碑です。

 獄洋社は立志社と同様の自由民権の結社です。
 南獄社と南洋社が合併したもので、立志社につぎ社員が多く、
その中には坂本南海男(直寛)がいて弁士として活躍していたそうです。

 河野敏鎌は弘化元年(1844)土佐藩士の家に生まれ、幼名を万寿弥といいました。
土佐勤王党に加盟参加していたため、山内容堂公の土佐勤王党弾圧に連座し、
6年間入獄していました。後に後藤象二郎の仲介を経て明治新政府で判事を務め、
後には農商務大臣、司法大臣、文部大臣を歴任し、その基礎を作ったそうです。


「婦人参政権発祥之地」です。
 「民権ばあさん」と呼ばれた楠瀬喜多は天保7年現南はりまや町に
生まれ、明治5年には夫と死別しました。その後自由民権運動に
参加し、39歳の頃には女性弁士として活躍しました。
 喜多は明治11年の区会議員選挙で全国で初めて婦人参政権を要求、
その2年後この上町町会の規則に規定され、続いて小高坂村でも
実現したそうです。楠瀬喜多のお墓は筆山東斜面にあります。
 この碑自体は比較的新しく、1990年に「婦人参政権発祥の
地に記念碑を建てる会」により建てられています。

河野万寿弥(敏鎌)は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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