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蹉跎山補陀洛院金剛福寺
宗派 真言宗豊山派
本尊 三面千手観世音菩薩
寺伝によれば、弘仁13年(822年)に、嵯峨天皇から「補陀洛東門」の勅額を受けた空海(弘法大師)が、三面千手観世音菩薩を刻んで堂宇を建てて安置し開創したという。空海が唐から帰国の前に有縁の地を求めて東に向かって投げたといわれる五鈷杵は足摺岬に飛来したといわれている。
歴代天皇の祈願所とされたほか、源氏の信仰が篤く、源満仲は多宝塔を寄進、その子頼光は諸堂を整備した。平安時代後期には観音霊場として信仰され、後深草天皇の女御の使者や和泉式部なども参詣している。室町時代には尊海法親王が住職を勤め、一条家の庇護を受けた。戦国期に一時荒廃したが江戸時代に入っても土佐藩2代藩主山内忠義が再興した。 (以上Wikipediaより)
2010年8月8日 幡多地方に歴史散歩に訪れました。
足摺岬のお土産屋さんが立ちならぶ駐車場脇の対面に入り口がありました。
第三十七番岩本寺からは80km以上あり札所間で最長距離です。次の延光寺までは50km程度です。
古い歴史を感じさせる灯籠です。境内には様々な建物等ありますが、改修が行き届いているのか、
これ以上には外観的にそれほど歴史を感じさせるものは無かったように思います。
山門です。寄進の新しい灯籠が下にあります。
山門の仁王様ですが、なにかプラモデルのような落ち着きのない色です。それに顔もなんだか漫画チックですね。
これでは悪霊は退散しないのでは?
手水舎です。大つくばいには山内家の三つ葉柏紋が彫られています。
誰かの歌碑らしいです。
そして、本堂への通路です。右側の屋根が売店・納経所になっています。
たくさんの岩を配置した広い池は、10年前には無かったと聞きました。
世代交代した和尚が新しい風を吹き込んでいるようです。
本堂裏では寄付による石版を重ねて何か工事が行われていました。
廊下に静かに座っている地蔵さんが載るのでしょうか。
こうしている間にも次から次へと遍路が訪れています。
鐘楼と和泉式部逆修塔?が見えています。
池の周囲には、いくつかの堂がありました。これは愛染堂です。
これは中国の大雁塔のミニチュアのようなものですが、下部に鯨や魚のレリーフがあります。
これは地蔵に守られている行者堂です。
そして、霊山鎮守の権現堂です。
ミニ八十八カ所を表す地蔵の列です。
こちらが大師堂です。
池を一周して本堂を振り返ります。右手奥には多宝塔があります。
この後、寺の周囲を散策しました。
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