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39番札所 延光寺(えんこうじ)


 2008年10月2日、久しぶりに中村・宿毛方面へ出かけました。
 今日はカメラ(CONTAX SL300RT)のホワイトバランスを白熱電球に合わせたままなのに気がつ
かないで撮影してしまいました。ファインダーがなんだか青いなあと思いつつも、太陽マークと電球
マークの判別がつかない老眼でした。
 何とかペイントソフトで調整したのですが、まだ色がおかしいですね。
 土佐インターから須崎インターまで自動車道を走り、国道56号線へ。窪川まで約1時間、中村
までまた1時間。中村では資料館に立ち寄り間崎滄浪展を見て、昼食用に弁当を途中で仕入れ
て中村から宿毛市の延光寺まで15分で到着。
 延光寺の駐車場で昼食を食べていると、キャンピングカーや三河ナンバーのタクシーに続いて
バイクのお兄ちゃんが入ってきました。


 ナンバープレートを見ると「立科町」となっていますが、何県かわかりません。
 聞くと長野県だそうです。すごい、この小さなバイクでよく来たものだと関心しました。
 若いのになぜ?の問いに、大学出たばかりだが、就活をしなかったので就職までの間に八十八
カ所巡りをしておこう、何か得るものがあるはず、とのこと。
 バイトで貯めたお金でなんとか回っているとのこと。えらい!
 桂浜に寄ったのに龍馬像を見ることができなかったと残念がっていました。


指の方向へ「是ヨリ七里」、次の第四十番札所への道標です。


山門前です。山門より手前に手水舎があるのは珍しいですね。


真言宗智山派 赤亀山寺山院延光寺略縁起
当山は神亀元年(724)聖武天皇の勅願により行基菩薩の開創にして本坊並びに十二ヶ坊を建造せられ
本尊薬師如来は一刀三禮のご自作なり。その後、延暦14年(795)弘法大師錫を当山に久しく止め再興を
図る。その時大師浄水乏しきを憂い本尊に凝して地を掘り加持すれば霊水自ずから湧き出す。この水を
宝医水と名付け閼伽水に用う。今の眼洗井戸がこれである。延喜11年(911)赤亀が竜宮より銅鍾を背負
い当山に納める。この由来により亀鶴山宝光寺を赤亀山延光寺と改める。上は皇室帰依深く下は庶民信
仰浅からず盛時には五百石の自領を賜う。笑不動軸は巨勢金岡の筆にして貞観17年(875)明汶僧正が
清和天皇より拝受せし尊宝なり。四国霊場第39番札所にて参詣者絶ゆることなし。「延光寺日記より」


大師堂です。お掃除係がきれいに拭き掃除をしていました。


山門の方を振り返るとお大師さんの後ろに鐘楼がありました。


眼洗い井戸です。


納経所がありました。その上は宿泊できる坊でしょうか。
この第39番と第38番、そして第37番は距離がたいへん離れていますので、どこかで宿泊が必要です。


空は完全に秋空。疲れを飛ばしてくれるように、雲がきれいです。

詳細は延光寺(Wikipedia)

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