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蓮池城跡(土佐市城山公園)


2011年3月21日 平田俊遠とともに源希義を討ったとされる蓮池権藤家綱を訪ねました。


土佐市消防署の裏側です。
向こう側に国道56号線が走っています。
国道からは消防署の手前の小道を入って来ます。


城の登り口は少し広くなっていて、3台分程度の駐車ができます。


階段を上り詰めると右と左に道が分かれます。


左は細い道です。ちょうどツバキが盛りで、たくさん落ちていました。


右を行くと広い場所に出ます。


菜の花も花盛りです。ここからもう一段上がります。


上がると左手にトイレがあります。そして向こうは中央広場です。


ここは土佐市の公園になっています。公園全体の案内看板がありました。
看板は北向きに立っているので見る人は南向いて見るのですが、
見る方角と地図の方角が異なっていて、勘違いしやすい建て方ですね。


トーテムポールのある中央広場です。向こうの方に何か碑が立っています。


「馬淵重馬先生頌徳碑」です。
地元の人で教員から須崎市長、蓮池村長を勤めたようです。


南側の下の段には土佐市民政児童委員協議会が梅林を作ってありました。


上の段に戻りさらに上に登ります。


上り詰めると広場がありました。ここが蓮池城の本丸でしょうか。
正面の神社の後ろの岩場に天守を築いていたのでしょうか。


振り返ると「土佐市史跡 蓮池城趾」の石柱がありました。


正面の神社に向かいます。


蓮池神社と書かれています。


狛犬さん、口を結んだ「吽」です。


狛犬さん、口の開いた「阿」です。


狛犬の後ろに奥まって説明の石版がありましたが、もっと
前に持ってこないと見にくいし気がつかない場合もあります。

この神社は蓮池権頭家綱卿を祀る 嘉応二年(1170)平氏の家臣近藤家綱が平氏荘園の守護として蓮池城を創建し蓮池姓を名乗った 善政により権頭に任ぜられた後越知町柴折に刺客の手に倒れ遊行寺に葬られた 以来八百数年目に御霊を故山に迎えたものである
 昭和52年4月24日
      土佐市郷土史研究会
          田村忠之撰 長瀬放亭書


同じような内容ですが、別の案内板がありました。

   蓮 池 城 の 興 亡

 ここに城が定められたのは、嘉応2年(1170)平氏の家人近藤家綱(蓮池権頭)が、平氏荘園の守護として居城したのに始まり、その後源頼朝の討手に滅ぼされた。
 建久3年(1192)藤原国信が居城して大平氏を名乗り、広大な勢力圏を形成し、文化面でも優れた活躍をした。
 天文15年(1546)幡多一条氏が東進し、大平氏を滅ぼし、一条氏の番城となったが、弘治3年(1557)には本山氏が一条氏を撃退して城を奪った。
 永禄3年(1560)長宗我部氏と本山氏の争いが起こり、これを機に一条氏が城を奪回した。永禄12年(1569)弘岡城主吉良親貞が一条氏を追い、その子親実が城主となったが、長宗我部盛親の継嗣問題で元親の逆鱗に触れ、親実は自刃し、こうして400年余、戦国武将が興亡を繰り返してきた蓮池城の歴史は、幕を閉じた。


小祠の左側は戦の神である八幡宮です。

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