2009年12月8日 筆山の墓地を巡りました。
筆山の東北の登山口です。ここには5つの案内標柱があります。
そのうちのひとつに「永野修身元帥墓所」があります。
石段を上がり平らな面に出ると目立つのはこの大きい墓。
陸軍砲兵少佐 井上光喜墓です。
墓参道を進み一段上がったところに永野家の墓所入り口がありました。
永野修身と妻たちの墓です。
一番手前が明治43年に21歳で亡くなった妻律子の墓、
次が永野元帥の後を追うように1年後に
昭和23年に45歳で亡くなった後妻京子の墓です。
永野修身墓
国際軍事裁判審理中の昭和22年正月5日に病没。享年67
高知市桜井町には誕生地碑もあります。
永野修身の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。