土佐の歴史散歩高知市中心部筆山・皿が嶺>櫃屋道清墓所

櫃屋道清墓所


2010年2月13日(日) 筆山に散歩に出かけた。吉田東洋>楠瀬>永野>と東に回り下りて、山本・桑津を通り上に戻ってくるつもりだった。
その最初に下り始めてふとここを上がると確か櫃屋の墓所があったと思い出し、上がってみた。


古いかまぼこ形の墓の頭部のみがたくさん並べられている。


真ん中にふたつ背の高い墓石が見える。


右側が櫃屋の「松本太郎右衛門重利」、左が妻の松本重利室 寺村氏」です。
この2基の墓石は新しく、昭和になって修復されたものだということです。


墓石の右側に「道清居士」の字が見えます。


初めは知らなかったのですが、「土佐の墓その2」によると、
○父勘解由重則(櫃屋道端)が根来の乱を避けて土佐に来て、五台山の櫃谷に住み長宗我部氏に仕えた。
○重利は商人になり、山内氏入国後、西浦戸町に移り町惣年寄りを勤める御用商人となった。
○堀川をはさむ播磨屋宗徳邸(京町)との間に橋を架け往来した。(後の播磨屋橋)
○長崎貿易により藩主のために珍奇の品を求めた。
○長崎の諏訪神社花鉾を見て帰り、朝倉神社祭礼に花鉾を奉納した。後世の 花台の基である。
など、現在の私たちにも文化的な影響があることがわかりました。

櫃屋道清の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。

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