土佐の歴史散歩高知市中心部筆山・皿が嶺>今井孝純公墓

今井孝純公墓

2011年12月3日(土) 前田秀徳氏の案内で筆山から高見方面を訪れました。


前田秀徳氏の指し示す方を見ると、竹藪を切り開いたところに3基の墓が並んでいます。
左手には最近切り払われたと思われる竹が積みあげられています。
これだけの竹が茂っていると、案内本を頼りに来てもわかりませんね。
「土佐の墓その二」/山本泰三著のP.111にも出てはいますが。


近づいて見ます。今井の文字が読み取れます。


今井秀誠公、配 北代氏
今井孝純が養子に入った養父母の墓です。
妻の北代氏というのは、龍馬の継母伊與の
元の実家の親戚なのだそうです。


墓標の表には「今井孝純公墓」と彫られていて、他の3面には
墓誌が彫られています。
今井孝純は碑面に書かれているように本姓は永野氏でした。
碑面は、「諱は正之、字は友之、玄泉で後に孝純と変えた。
号は約斎である。永野氏の出で今井氏を嗣いだ。医師であり
用人格で藩に仕えた。・・・」。
長男が天保5年に生まれ、今井純正と名付けられますが、
後に長岡謙吉となり、海援隊書司として坂本龍馬と一緒に
幕末を歩きました。


「今井孝純妻墓」です。反対側には小島氏直と彫られています。
小島氏は川島家の次女田鶴の嫁ぎ先で、龍馬が最後の帰郷をした時に中城家から立ち寄っています。

今井孝純の墓は山本泰三著「土佐の墓」に掲載されています。
今井孝純の墓は前田秀徳著「龍馬からのメッセージ」に掲載されています。

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