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竹村家住宅

国の重要文化財(建造物)として登録されています。
主屋は江戸後期(安永)の民家で、土蔵、表門とともに2007年12月に登録されました。

 竹村家は、佐川屈指の商家で、江戸後期に苗字帯刀と酒造を許されて酒造業を手がけるとともに、幕府からの巡見使には宿所を提供していた。主屋は、東側の店舗部と西側の座敷部からなり、店舗部は安永9年(1780)頃、座敷部は天保9年(1838)の建築とみられる。店舗部は、広い吹き抜けの土間と、オモテ、チョウバなどの部屋をもつ町家形式で、座敷部は、座敷のほか茶室なども備えた接客空間をもち、当地に特徴的な意匠の座敷飾りや貼付壁を採用している。
 竹村家住宅は、幕府巡見使の宿所とされ、武家住宅に準ずる上質な座敷を備えるなど、土佐地方における有力商家の住宅として重要である。
 (文化庁データベースより)


 2011年8月23日(火) 電話予約をして訪れました。


竹村家は「司牡丹」の長い酒蔵が続く佐川の町筋にあります。


大きい酒甫手のぶらさがる酒造「司牡丹」。


ふだんは竹村家の御当主は「佐川くろがねの会」観光案内所におられます。


 最初に招かれたところは竹村家の主屋の東側部分で、2度の大地震に耐えた、太い柱に支え
られた2階まで吹き抜けの土間がありました。
 竹村家は寛文年間に高岡から佐川に移住し、酒造「鉄(くろがね)屋」を買い取り、酒造業を
始めたそうです。そのとき名称を「黒金屋」に変えました。 ここはその店舗部分です。
 大変繁盛し江戸時代後期には、深尾家に多額の資金調達をしていたそうです。


この全面板張りの後ろ側にはお乗り物(駕籠)が通れる立派な観音開きの門がありました。


玄関の上の家紋入りの鬼瓦です。


ピンクの壁はベンガラ漆喰です。


庭には変わった石灯籠がありました。


玄関を上がるとどこかで見たような筆遣いの軸が迎えてくれます。
後ろの壁は「貼り付け壁」という珍しい壁で、障子のようなものを竿縁で柱にとめています。


高松太郎に宛てた龍馬の書簡だそうです。
池内蔵太をユニオン号に乗せることを伝えています。
普段はレプリカがかかっているのですが、
今日は特に本物を見せていただくことができました。


一枚板に彫刻された立派な欄間です。この部屋も貼り付け壁です。


幕府巡検使を宿泊させる部屋として、領主深尾公が裕福な竹村家に指定しました。
従って商家ではあっても、違い棚など武家の部屋に近い造りをさせています。
床の間には鯨海酔候の署名がある軸がかかっていました。


付け書院の明かり障子の桟が美しい。


江戸時代の絵師、蛇足軒蕭白の絵という、美しい屏風です。


障子を開けると中庭が見える。石を配した枯山水の庭です。
中心の樹木はギンモクセイの大木です。


座敷の隣は4畳半の茶室でした。
部屋の中心に炉もありますが、夏ですから風炉のセットが置いてありました。


弥太郎の証文が茶室の壁に。楽しい。


茶室の露地です。落ち着きます。


竹村家住宅のたたずまい。

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