2008年6月13日(金) 今日は佐川町にある県内でもっとも古い時代の遺跡を訪ねました。
最初に見つけた洞窟には周囲に作が張り巡らされ、洞入り口は鉄枠と金網でふさがれていました。
なんとかと思い、南に回り込むと石碑が目に入りました。
不動ガ岩屋洞窟遺跡と書かれています。
不動ガ岩屋洞窟は国指定の史跡です。
なんと、旧石器時代終末期の特徴のある石器とか、日本でもっとも古い時代の土器が発見された遺跡だということです。
しかし、あんなに柵がしてあって近づけないのではしかたがないと半分あきらめ、周囲を歩いてみました。
車で乗り込んで来たときには気がつかなかったのですが、前の道路に出て見ると、
一本のまっすぐなコンクリートの道が山中に伸びていることに気がつきました。
山中に入るところに何やら標柱が埋め込まれています。
「文部省」の文字が見え、さきほど見た洞窟ではなく、この先にありそうな気がしてきました。
間もなく「左洞窟道」の標柱が見えました。やったね。
斜面が階段になり、階段が右に折れた先に洞窟入り口らしいものが見えました。
洞窟の入り口に詳しい説明板が建てられていました。
思ったより浅いものですが、十分雨露はしのげます。1家族だけだったんだろうか?
中央に祭壇があり、左には円鏡を納めた神道の宮があり、右には不動尊像が立っていました。
祭壇を前にして右を見ると、もう一部屋同じくらいの洞がありました。
ここで、1万年も前に人間がどのように暮らしていたんだろう?という想像をしばらくめぐらしていました。
洞入り口の脇には木の根がしっかり石灰岩を抱いていました。
下におりて一休み。1万年前にこの石灰岩の岩山はどんな形だったんだろう?
前を流れる川はもう少し高いところを流れていたんだろうか?想像は様々に頭をよぎる。
この後、佐川町にもうひとつあるといわれていた遺跡を訪ねました。
しかし、残念ながら本体は石灰石を採掘するために失われていて、石碑が残るのみでした。
このあたりでも太古の昔にはオオカミがたくさんいて、オオカミとの戦いが日常だったようです。