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山内(深尾)規重蟄居屋敷跡



どうやらここが安岡家の本家跡らしいのですが、ここの安岡さんに訊いてもわかりませんでしたが、
詳しい人が近くに居ると教えて頂きました。
地図で見ると、この裏手に規重が蟄居中に使っていた井戸があると書いてありました。


安岡家の左手から入っていくとミカン畑が広がっていて、井戸らしいものは見えませんが
じっと見ていると何か立て札のようなものが見えました。


そこに行くとありました。町指定文化財「殿様釣井」です。説明板によると、
「土佐藩の家老山内主馬規重が深尾家と孕石家の縁談のもつれに介入し、六代藩主豊隆公の
考えに反するものとして禄を奪われ、正徳元年(1711)十二月二十六日に、山北安弘の里に蟄居
を命ぜられてから享保五年(1720)八月許されて家老職に復するまで十年間、使用した井戸で、
どんな日照りでも水が枯れないといい、現在もなお集落に人々の命の水として利用されている。
昭和五十三年四月一日指定 香我美町教育委員会」ということです。

この前のミカン畑が屋敷跡らしいです。近くに住んでいる人に深尾規重について調べているので
すが、と声を掛けたら、親切に一緒に歩いてあたりを案内頂き大変助かりました。


井戸から奥に進むと人家の脇に、規重が子の臍の緒を埋めたという塚がありました。
説明板もなく、案内していただかないと、人家に踏み込むようで素通りしてしまいそうです。
山北で蟄居生活を送ったのですが、その間に子宝に恵まれていたのです。
その子は茂固と名づけて育てられ、後に八代藩主豊敷となります。
規重の墓は五台山の深尾家の墓所にあります。


次に案内されたのがミカン畑の裏側の、ここです。なんときれいな道路が通っていて、立て札も
ありました。
この立て札によると、「町指定文化財 山内規重蟄居屋敷跡」として、あとは井戸の説明とほとん
ど同じ内容でした。
案内して頂いた方には近くの淺上王子宮へぜひ行ってみてくださいと勧められました。


道ばたにはちょうどツクシが伸びてきていました。

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